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生き埋めだ、それ行け、ドクターカー! ⑥【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】

第2章 救命、そして再生への道

生き埋めだ、それ行け、ドクターカー! ⑥

私は救命救急センターを出て、すっかり暗くなった道を急ぎ足で歩いていた。先刻の医師と患者の会話などいろいろなことが脳裏を駆け巡った。ふと、明秀が唐突に田尻夫婦のなれそめについて聞いたことを思い出した。

「熊本出身の田尻さんが、どこで青森出身の奥さんと知り合ったんですか?」

「以前、私は調理師だったんです。イタリアのミラノの和食レストランの板前をしていたときに、女房は仲居をしていました」

「おお、イタリアーイタリア語はペラペラですか?」

「いや、だめです。女房は話せますけど。イタリアから帰ってきて、調理師よりも外で身体を動かす仕事のほうが自分には向いていると思って、土木作業員になったんですよ」

「ああ、そうか。調理師のままだったら、あんなたいへんな事故にも遭わなかったし、つらい思いもしなかったんですね」

「そうですね。でも、自分で決めて土木作業員になったし、仕事は楽しかったから、しょうがないです」

歩道の前方に小さな子どもを真ん中にして歩く親子の姿が私の目に飛び込んできた。すぐに田尻さん一家だとわかった。気丈な妻とかわいい盛りの息子が田尻さんに寄りそって歩いている。こちらの歩幅が大きいのかすぐに追いつき、いっしょに駅までの道を歩いた。

「今先生はちゃんと話を聞いてくれるし、はっきり言ってくれます。ほんとに今先生と出会えてよかったです」

私が最初に田尻さんの事故の話を聞かされたときは、正直言ってとてもショックだつた。確かに間一髪で救われた命だったが、顔が削られてしまったということを想像し、果たして自分だったら生きていけるだろうかという大きな問題を突きつけられた感じだった。

命が助かった田尻さんとて、最初は負った傷の大きさと立ちはだかる困難に打ち勝つのだという強い気持ちではなかった。肉体の傷は心の傷になった。子どものことを考えると「生きていたくない」と苦悩したが、逆に家族の存在は田尻さんに生きる勇気を与えたのだった。これから先もさまざまな困難にぶつかるかもしれない。

しかし、死にかけた命に灯った希望の光は再生への道標を照らし始めたということ、さらに「生きてほしい」というたくさんの願いと温かな心、そしてその人自身の「生きたい」という強い気持ちが響き合って、新しい力が生まれた。私は田尻さん一家のたくましさに陰ながら拍手を送った。

次回に続きます…

プリベンタブルデスーある救急医の挑戦本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。

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書籍連載   2017/09/11