生き埋めだ、それ行け、ドクターカー! ①【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第2章 救命、そして再生への道
生き埋めだ、それ行け、ドクターカー! ①
間一髪の奇跡的な救命というものを振り返ってみれば、時間的側面では一秒の狂いもなく、また、尋常ではない筋書きが用意され、それらすべてがパズルのようにピタリと合致する前代未聞のドラマチックなものである。
今明秀はよほどのことがなければ搬送されてくる重症患者は断らなかった。手術中の場合には応援を頼んだ。救急隊長から連絡を受ける明秀は即座に判断して「助けよう―搬送してください」と引き受ける。そんな明秀にとって「忘れられないほど、ドラマチックな救命だった」という症例の一つが「生き埋め事故」だった。
二〇〇三年一月二十二日、川国市の下水工事現場で土砂崩れが起きた。地下四メートルで作業をしていた作業員二人のうち田尻春日さん(当時二十八歳)が立位のまま、深さ三メートルの溝に生き埋められた。もう一人は間一髪で脱出し、応援を頼みにいった。
その場所が墓の埋立地で前日の大雨により地盤がゆるんでいたこと、さらに安全確保に不備があつたことも土砂崩れの引き金となった。田尻さんの頭上には約一・四メートルの土砂が積もっていた。
昼十二時二十八分、救急車要請。現場の作業員はスコップで土砂を掘り起こしたが、まつたく田尻さんを発見できない状況だった。五分後、救急隊が現地に到着した。川国市消防救急隊の坂上隊長は状況から判断して、医師の現場要請をした。連絡を受けた明秀は同行すべき看護師を待ったが、準備に時間がかかっているのか、なかなかやって来ないため、一人でドクターカーに乗った。このときの行動について、ほかの医師や看護師に責められる。
「一人で行って手に負えなかったらどうするつもりなんですか?」
「手に負えるか負えないか、行ってみなければわからないじゃないか。一刻を争う状況なのだから」
こういう場合は押し切るよりほかない。それが明秀の素早い対応であり、判断力である。現場ではどの辺りに生き埋めになっているのか見当もつかない田尻さんを救出するため、最後の手段として作業員がパワーショベルで土砂を掘っていった。ところが、パワーショベルの爪が田尻さんの顔面に引っかかり、地上に引き上げられたのである。
救急隊の坂上隊長は現場までの短い時間に用意したレスキュー機材の中を点検し、気道セッ卜、外傷セットを取り出した。周囲の安全は確保されていたので、土砂の中に進入し、田尻さんの初期評価を行った。
顔面が激しく引き裂かれ、日腔内出血があり、窒息のため意識はなかった(JCSl00、用語解説参照)。呼吸も弱く、頸動脈脈拍は微弱だった。気道確保を試みたが、胸から下が埋まった立位のままでは不可能。さらに掘り進み、全身を地上に引き上げた。そして、田尻さんを救急車内に収容して気道確保を試みたが、顔面の激しい出血と意識障害のため、左向きでわずかに気道が通るだけであった。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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