エピローグ③【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
エピローグ③
医療については患者としての経験と見聞きした知識だけの私が、1人の救急医、自治医大出身の今明秀をとおして日本の救急医療を知りたいという思いが膨らみ、川国市立医療センター救命救急センターを訪ねたのが2004年2月のことだった。そして、初めて救急現場に足を踏み入れて、救命のかたちあるいは死を目の当たりにした。患者自身が語った「救われた命の喜び」に出合い、また明秀が語った1つ1つの逸話に驚き、また感動した。取材を進める中で、「今医師はすごい救急医です」「今先生でなければ助けられなかった」といった感想を何人もの人から聞いた。私の中で救急医の像がくっきりと描かれた。
救命救急センターは文字どおり「命を救う」という役割を担っている。しかし、そこでは重症患者の助かった命と助からなかった命がある。実際、交通事故による外傷患者の約20%は助からない。搬送されてきたときの患者が、明らかなショック状態にあり、たとえ助かっても意識は戻らない可能性が高いことがとわかっていても、可能性が1%でもあるかぎり、救急医は最大限の努力をする。重症の救急患者の救命率を高めるのは、プレホスピタルと病院の連携などすべての機能の歯車が合ったときで、明秀が関わった奇跡的な救命の成功例は数えきれない。しかし、その一方で自らの的確な判断を悔やんだ症例もあった。
明秀が川口の救命救急センターにいたときのことである。トラックにはねられた小学生の女児が搬送されてきた。血圧低下、ショック状態が長過ぎ、頭部にもけがをしていたが、肝臓がちぎれたような状態の重症だった。予測救命率は40パーセント。肝臓の右側半分をすばやく切除することを優先させることにしてスタツフに確認をとる。切除手術は回復が早いこともあり、明秀はそう判断したのだ。血圧低下を輸血と点滴で持ち直したところで手術をしたが、途中で大出血のため心臓が停止。心臓マッサージをすると再び心臓は動いたが、脳死状態となり、やがて心臓停止、女児は絶命した。明秀が頭部よりも肝臓の手術を優先させたことは的確な判断だつたが、実は破裂した肝臓の処置については、切除せずにダメージョントロールという方法もあった。ダメージョントロールは、アメリカの戦艦空母の被爆に由来している。徹底的に戦うか、あるいはこのくらいやられたら、態勢を立て直してまた出て行く。いま、逃げたらやられてしまうぞ、と思ってもこのまま突き進んだら間違いなく沈没する、それならば、沈没を避けて船体の穴を直しながら逃げ帰ってきて、また再起したときにやり直すという時間をかけた戦略である。
肝臓の手術もこれと同じで、徹底的にメスを入れて破壊された部分を切除するのではなく、肝臓の出血をタオルで圧迫して約48時間〜72時間(2〜3日)をしのぎ、態勢を整えてから手術をするというダメージコントロールは安全策だった。しかし、明秀は切除に踏み切って子どもは絶命した。結果的にはダメージコントロールにすればよかったという話になる。予測救命率からすると死亡も考えられるケースではあったが、明秀はもっと低い予測救命率の患者の救命に成功していたので自信があった。「子どもだし、頑張れるし、いける」と思った。自分が手術して早く学校へ行かせてあげたいという気持ちが強かったのだ。もし、明秀に手術の経験が少なく、肝臓の切除手術をする自信がなくてダメージョントロールを選択し、3カ月という長い時間をかけて治療に当たったとしたら、子どもは助かったかもしれないし、助からなかったかもしれない。すべてが結果論である。
待合室では子どもの父親が「おまえがちゃんと見ていないからこうなったんだ!」と怒鳴りながら肩をふるわせている妻を蹴っ飛ばしていた。
いずれにしても「子どもを死なしてしまった」という悔しい思いが残り、明秀は自分を戒めるために子どもの病歴サマリーをいつまでも壁に貼っていた。
この話を私たちはどう受け止めるのだろうか。命が助からなかったということを判断ミスだ、医療ミスだと言及することは簡単だ。逆に命が助かったけれど植物状態になったのも、医療ミスだとジャッジする場合もある。救命率の低い重症患者の命の行方は「救命の鎖」と救急医に委ねられ、患者の救命を願う人はすべてを医師にまかせるしかないのだ。私の中に自か黒の答えは出てこない。しかし、救急医がどんな重症患者でも受け入れ救命に全力投球する姿を見て、私は自分の死と紙一重にある命を見つめるようになったのである。救命救急の最前線で年間平均、500症例の重症患者を受け持っていた川口時代の今明秀が、ここ八戸市立市民病院救命救急センターでメスを持つことはほとんどない。そのことに触れるとこう語ってくれた。
「自分が手術をして、1年間に500人の患者さんの命を助けたとします。しかし、自分が手術しないで助けられる患者さんのほうが多いのかもしれません。どんなにすごい腕の人でも、年齢的に体力、視力などが衰えて引退する時期がきます。いまなら、まだ手術できるかもしれませんが、手術より大事なもう1つの救急医療を見つけたいのです。外傷の救急外科医を育てるのも1つの仕事ですが、救急医療の発展途上にある地域で、普通の医者に救急を教えるほうが大事だと考えるようになりました。それをやるのは誰か。ほかの人にお願いはできない。自分しかいないのではないかと決意しました」
八戸市立市民病院の救急医療に対する評価には、救急外科医としての明秀のキャリアが反映している。今明秀は第1線のプレイヤーから第一級の監督になり、救急医療の進展のために今日も東奔西走しているのである。
[用語解読] 救急医療の標準化普及
外傷治療において米国では、標準的診療を普及させるために多額の国家予算を使ったその結果1970年代に「むだ死に」していた患者は25〜50%あったが、1980年代には0.9から20%に減った。これは標準化の普及が成功したことを示している。
将来ある若者や働き盛りの年齢層の死亡の原因のほとんどを占める外傷死は減った。このことは社会コストという観点からたいへん大きい。日本では、社会で発言力が大きい年齢層での死因として大部分を占める心臓病・がん。脳卒中治療に大きなエネルギーが裂かれてきた。外傷診療の良し悪しには、大きな地域間格差があり、たとえ進んでいる東京でさえ、米国に大きく遅れをとっている。
病院前救護、救急病院の診療体制、紹介転送ならびに、普通の診療理論が存在していなかった。ここに標準的な外傷診療のガイドラインを普及させる必要があった。外傷のほかに心肺停止患者に対する心肺蘇生術も同様に標準化が望まれていた。
救急隊員が行える応急処置として左記が認められている。「救急標準課程」を終了した後に救急車に乗って活動できることは以下の項目である。
①気道閉塞状態に対して、用手法または、器具(経ロエアウエイ・経鼻エアウエイ)を用いた気道確保
②口腔内吸引
③マウスツーマウスまたは、バックバルブマスクによる人工呼吸
④気道異物(肉や餅)の除去
⑤酸素投与
⑥心臓マッサージ
⑦止血法
⑧創傷をガーゼで被覆し包帯する
⑨副子を用いて骨折を固定する。バッグボードを使う
⑩毛布などで保温する。ぬれた着衣を脱がせる
⑪病態に応じた体位をとる(心不全は座位、出血では足側高位)
⑫聴診器を使う
⑬血圧計、心電計、パルスオキシメーターを使用して病態を把握する
⑭骨盤、下肢骨折などに対するショックパンツの使用
⑮2004年よりAEDを使用して除細動する
次回「対談◇國松孝次・今明秀」に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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