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県立広島病院 救命救急センター
多田 昌弘

卒後
0年

愛媛大学医学部医学科

あんまり真面目な学生ではありませんでした。
卒業時に専門科を決める必要があり、もともと、こどもと関わることが好きだったため、小児科を選択しました。ただ、同期の小児科を選ぶメンバーがみなさんすごく勉強ができる人だったので、選択を間違えたかもしれないと思っていました。

卒後
1年

広島大学病院 小児科

学生時代の勉強は苦手でしたが、医師としての仕事は非常に楽しく、朝7時には病棟に出勤し21時の注射を済ませてから帰宅する生活が1年間続きました。
眠る時間と通勤時間以外を、ほぼ小児病棟で過ごしこども達と親御さん達との接し方や話し方などをみっちり学びました。

卒後
2年

県立広島病院 新生児科・小児科

超低出生体重児や重症仮死などの新生児の管理をみっちり2年間勉強し、さらに一般小児科をみっちり1年間学びました

卒後
5年

庄原赤十字病院 小児科

広島県でもっとも面積の広い庄原市に赴任し、人口3万人・小児科医2人という条件の「地域医療」に没頭しました。
内因性疾患の「小児」を主に診療しておりましたが、都市部の病院では直面することがなかった外因性疾患の「小児」も「小児科」で診療する機会がありました。
これまで、内因性の重症新生児は診療する機会がありましたが、内因性の重症「小児」・外因性の「小児」について診療する機会がなく、またどうすれば診療できるようになるのかわかりませんでした。
外因性の重症小児を試行錯誤しながら診療していましたが、「どうやったら助けられるのか?」はだれにも教えてもらう事ができず、「小児」を救命できない悔しさと、「自分以外の誰かが診ていたら助けられるんじゃないか?」という恐怖と闘った3年間でした。
「普通の小児科医」を続けていては、助けられないこども達がいることに気づき、小児の集中治療を学ぶ必要があると確信しました。

卒後
8年

長野県立こども病院 麻酔集中治療部

その当時、日本ではまだ珍しく、術後だけでなく外からも患者を受け入れている長野県立こども病院PICU(Pediatric Intensive Care Unit)で研修を始めました。
小児内科医としてそれまで常識だと思っていたことが、非常識だったりと混乱することもたくさんありましたが、小児内科医の視点とは違った外科医や麻酔科医などの視点も知ることができました。小児重症患者さんの管理もみっちり学びました。
そして、全国から集まった小児重症患者さんを診られるようになりたいと思っている、たくさんの小児科医と出会うことができました。在籍中に小児科専門医を取得しました。

卒後
10年

県立広島病院 救急科

広島県で小児救急医として生きて生きたいと考え、県立広島病院の救命救急センターで救急医として働き始めました。内因性の重症化した小児は小児科医をはじめとした小児を主たる診療対象とする科と一緒に、外因性の小児は主科として診療にあたり、小児を主たる診療対象とする先生方と成人を主たる診療対象とする先生方の「通訳」として働いています。

毎年約40-60人の小児重症患者さんがICUに入室し、病院前も含めた小児救急医療・小児集中治療を提供しています。また、救急医として成人と小児を分け隔てなく診療することで、成人救急のシステムに小児を組み込むことが可能になり、それによる病院前も含めた小児救急医療の充実がはかれています。ICUで治療していたこどもさん達が元気になってICUを訪れてくれるときは、他のものに代え難い喜びをセンターのスタッフとともに味わっています。そして、以前の自分では救えなかったであろう患者さんを救命できるようになったことは医師として非常にうれしいことです。現在、卒後16年目で、当院救急科に小児を専門とする救急医は自分だけです。今後は志を同じくする小児救急医と一緒に「救急科・小児班」として小児重症患者さんの診療に当たっていきたいと思っています。

未来へ

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先生がどういった経緯を経て救急医という職業を選ばれたのかを
熱いメッセージとともに寄せていただければと思います。
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さらに、男女問わず結婚や出産、育児という家庭人としての経験と仕事を
どのようにバランスよくこなしてきたのかなどの体験談も併記いただける方は
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キャリアプラン   2017/04/25