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大阪市立総合医療センター 救命救急センター
有元 秀樹

卒後
0年

近畿大学医学部

大学の教育方針が「医師の前に人間として一人前であれ」というものであり、今の私の医療の根幹を成していました・・が、学生時代は部活(テニス部&軽音部)に明け暮れる生活を送っていました。もともと手先が器用であったため、漠然と外科医になりたいと思っていた学生時代でした。しかし1995年の阪神淡路大震災を目の当たりにした結果、救急医療という思ってもいなかった分野に目が向くようになりました。進路として救急と外科の道を悩んでいましたが、当時は一般的にはローテーションなど無い時代・・結果的に外科医の道へと進みました。

卒後
1年

大阪市立大学第2外科

外科医を志したものの専門の一部分では無く、全身を診ることのできる外科医になりたいという考えは変わりませんでした。今でこそ研修医教育では当たり前ですが、当時では珍しく外科系のローテーション教育を有していた大阪市立大学旧第2外科(消化器外科、呼吸器外科、心臓血管外科、小児外科、乳腺外科)に入局し、様々な分野の症例を経験できたことは現在に活きています。

卒後
5年

国立大阪病院心臓血管外科(現国立病院機構 大阪医療センター) 外科認定医、外科専門医取得

その後心臓血管外科の道を進み、手術のみならずICUでの術後管理も自前で行っており、外科認定医を習得するなど日々研鑽を積んでいました。その後、大阪市立総合医療センターの心臓血管外科へ異動した時期に、新設された外科専門医へ移行しました。多くの修練の後にその後大阪市立大学心臓血管外科へ戻ることになります。

卒後
10年

大阪市立総合医療センター 救命救急センター 医員

卒後10年ほど外科医の生活を送ってきましたが、現職場より救命救急センターへのオファーを頂き、同時期に再度自分の人生を見直す出来事が重なるなど救急医を再度目指すべくFA宣言(?)を行いました。結果的に外科の医局を辞めましたが、当時の救命救急部長の計らいに教授が快く応じて頂き、現在でもon-off問わず良い関係を続けることができており非常に感謝しています。

卒後
12年

大阪市立総合医療センター 救命救急センター

救急医としての順序は逆ですが、心臓血管外科の経験を救急に活かすべくsubspecialityとして循環器学会専門医を取得し、卒後12年目に現在の根幹となる救急科専門医を取得。加えて転科後から学んだ集中治療領域について卒後13年で集中治療専門医を取得できました。

卒後
14年

オーストラリア New South Wales州立大学 Liverpool hospital ICUへ留学

大阪市の留学制度を使用し、オーストラリアのLiverpool病院へ念願であった留学の機会を得ることができました。ICUへの留学でしたが、Emergency DepartmentやTrauma surgeryなど幅広い分野と触れあうことができ、更には最近話題であるRRSの基となったMET teamに加わり臨床経験を得ることができました。留学へ快く送り出してもらったスタッフには今でも感謝しています。

卒後
15年

これから・・・

留学で学んだICU管理のみならずprofessionalとしての考え、世界の考えなど、「これだけ大切なことは若手に伝えないと!」と常日頃思っています。また、日本においてのRapid Response Systemの先駆けとしてモデルケースとなるべく経験を活かしていきたいと思います。外科専門医に加えて救急科専門医・指導医、循環器学会専門医などを取得しましたが、結果的に学生の時に想像していたスキル&資格を頂きました。いろんなやり方があって、少々回り道でもえーんやない? 大切なのは「こんな医師になりたい!」という根本的なところでしょうか? そのためのサポートをすることが、これからの私の使命と考えています。

未来へ

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先生がどういった経緯を経て救急医という職業を選ばれたのかを
熱いメッセージとともに寄せていただければと思います。
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さらに、男女問わず結婚や出産、育児という家庭人としての経験と仕事を
どのようにバランスよくこなしてきたのかなどの体験談も併記いただける方は
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キャリアプラン   2017/05/30