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杏林大学医学部 救急医学 
持田 勇希

卒後
0年

杏林大学医学部

学生時代は硬式テニス部に所属し、時間を見つけてはテニスに没頭していました。スポーツを通して、継続することの大切さ、組織における協調性など、教科書にないことを学びました。

卒後
1年

杏林大学医学部付属病院 初期研修医

研修医のローテーションの中で、外科系の診療科に興味を持ちました。将来的には外科医になりたいと漠然に考えていた頃に救急科をローテーションし、重症患者に粛々と立ち向かう先輩救急医の背中を見て、自分も救急医として最前線の現場に立つことを決意しました。

卒後
3年

杏林大学医学部 救急医学

初期診療から集中治療までを行う自己完結型救命センターを展開する杏林大学の救急医学に入局しました。各領域のsub-specialtyを有する救急医が、各々の長所を活かしながら総合力で戦う3次救急医療システムに魅力を感じ、自分もその一翼を担いたいと志しました。最初の2年間は救急・集中治療の礎となる知識や技術を学びました。

卒後
5年

外科研修:川崎幸病院 川崎大動脈センター
(外科専門医等各種資格取得)

sub-specialty領域を研鑽するにあたり、自分の専攻分野として大動脈救急を選択しました。純粋に心臓血管領域が好きであったことも然り、この領域は緊急度の高い疾患が多く、救急医療と相即不離であると感じたことが理由です。

しかしその研修過程は想像を絶し、体力的にも精神的にも極限まで追い詰められました。その極地を経て、指導医のいない状態で自分の責任下で手術を完遂する基礎力と、多面的な症例に対する応用力を身につけました。限られた年数の研修であったが故に、一症例の重みを感じることができたのかもしれません。

私の恩師の手術は、運針の一つ一つが手術室の全てのスタッフと共鳴し、一体感を生み出すような優雅なもので、それは職人の極みがもたらす美学のようでした。手術はただ速ければ良い、ただ丁寧であれば良い、怒号を飛ばして周囲を圧倒させれば良いという訳ではないことを学びました。そしてこれは、救急医療の現場においても同じだと感じています。この期間を経て、外科専門医、脈管専門医、ステントグラフト指導医の資格取得をしました。

卒後
8年

杏林大学医学部 救急医学
(救急科専門医取得)

出向を終え、再度救急医としての道を歩み始めました。救急科専門医を取得し、初療のリーダーを担うようになりました。研修して得たsub-specialtyを武器に救急領域における大動脈・血管疾患にも対峙し、救急医・大動脈外科医の両方の視点からアプローチすることで医療の質をより向上できると確信しました。それを現実化する為にも、救急に従事しながら定期的に大動脈の手術研鑽も行いました。

卒後
9年

大動脈救急医としての存在意義

現在の救急医療は北米型ERシステムが興隆し、幅広い知識を持つ、いわゆるオールラウンダーが必要とされています。大動脈救急医のような存在は、その疾患に対峙する機会が少ないことからも稀有なのかもしれません。しかし、洗練された各々のsub-specialtyの一太刀を懐に忍ばせた集団こそ救急医療と戦う最強の集団であると信じています。
これからも、唯一無二の救急医を目指して精進したいと思っています。

未来へ

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公開日:2018年2月27日