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愛知医科大学 
児玉 貴光

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児玉 貴光

愛知医科大学
児玉 貴光
卒後
0年

自治医科大学医学部医学科

学生時代のある経験から救急医・集中治療医として働く先生方と親しくなり、種々の疾病や外傷に的確に対処する姿を見て救急医学に興味を持つようになりました。卒業後は地域医療に従事するデューティーがありましたが、将来的に救急医になることを夢見て、長期休暇中には色々な病院の救急部を見学して回りました。

卒後
1年

石川県立中央病院 救命救急センター 初期研修医

全科ローテート研修実施。

卒後
6年

石川県立中央病院 救命救急センター

後期研修として救急医学を専攻。救命救急センターで重症患者の診療を経験するとともに、論文や教科書で読んだ知識を実践する日々が続きました。沢山の教育のコースにも参加して、医学教育の重要性に目覚めました。また、緊急被ばく医療に関与することで、本格的に災害医療の道に足を踏み入れました。病院外では多くの救急救命士の皆さんと交流を深めることでメディカルコントロールなど病院前救急診療についても学び始めました。

卒後
9年

公立能登総合病院 救命救急センター

1人医長としての赴任。全職員に対してBLSの教育をしたり、内視鏡検査の技術を磨くことなどに専念しました。また、不在時でも看護師が急変患者の対応をできるように、Rapid Response System(RRS)の原型を導入して訓練を重ねることで診療システムの改変が患者予後にインパクトを与えることを実感しました。

卒後
10年

聖マリアンナ医科大学 救急医学

初めての大学病院勤務。臨床だけではなく教育に一層力を入れつつ学術的活動にも力を入れるようになりました。多くの学会発表、論文執筆を経験し、商業誌・書籍の執筆機会も得ました。また、RRSを根付かせて日本中に普及させることで、危機管理と医療の質管理の重要性を再認識しました。さらに日本DMAT・川崎DMAT隊員資格を取得し、東日本大震災では神奈川県の統括DMATを担いました。神奈川県・川崎市という行政の枠で災害医療に深く関与することで、さらに災害医療にのめり込むことになりました。

卒後
17年

テキサス大学南西部医療センター

ながらく夢見ていた留学がようやく実現。もともとの目的は災害医療とその教育手法について研究することでしたが、時間を見つけて救急超音波学、中毒学、メディカルコントロールについても学びました。この間、地元であるダラスでエボラウイルス感染症が発生し、その対応策に関与する機会を得ました。優れた上司、気の良い仲間に囲まれて、人生で最も学問を追究した時期になりました。

卒後
20年

愛知医科大学 災害医療研究センター

縁あって愛知県に赴任。米国で学んだことをアウトプットする活動にいそしみました。また、研究者として南海トラフ地震への備えについてリサーチを開始しました。

卒後
21年

愛知医科大学病院 医療安全管理室(兼務)

危機管理の知識を生かすために医療安全業務を兼務。救急医として標準化された教育に基づいた中央診療・総合診療を実践してきた経験から、他科では修得しにくい知識や技術がこの領域でも役に立っていると思います。

卒後
22年

これから

救急医学はさまざまな分野・領域を包含していることから、どのような組織においても恩典に浴する存在となり得ます。そのため、将来については色々な選択肢があると信じています。「救急医療は医の原点」と評されますが、これは「救急医こそは医師の枢軸」であることのあらわれです。1人でも多くの若い先生たちが救急医への道を目指すことを期待して、後進が歩きやすい道を作ることがこれからの使命だと考えています。

未来へ

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内容のアップデートもお待ちしています!

先生がどういった経緯を経て救急医という職業を選ばれたのかを
熱いメッセージとともに寄せていただければと思います。
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さらに、男女問わず結婚や出産、育児という家庭人としての経験と仕事を
どのようにバランスよくこなしてきたのかなどの体験談も併記いただける方は
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公開日:2018年4月10日