心臓破裂が教えてくれたこと①【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第2章 救命、そして再生への道
心臓破裂が教えてくれたこと①
「おれ、退院するとき、今先生に命は大事にしてね、と言われて泣きそうになりました。一生、忘れられないです」
二十歳のときに交通事故に遭い、心臓破裂、開放大腿骨折、腹部損傷と、重篤な状態に陥った鈴木雅人さんは予測救命率一〇%以下だったが、命がつながった。九死に一生を得た。こちらの取材に快く応じてくれ、今明秀とは五年ぶりの再会となった。
「鈴木さんが重症を負って搬送されてきたのは、ちょうど五年前の三月、いまごろでした。元気になりましたね。鈴木さんの場合は助かる見込みが一〇%だったけれど、どうしても助けたかつたから、テキパキ手術しました」
明秀はあっさりいうが、十二時間にもおよぶ救命処置だった。鈴木さんの場合は、運転する車がゴミ収集車に激突し強度の圧迫を受けて心臓破裂に至った。心臓破裂は外傷のほかに急性心筋梗塞による死亡率も高く、また、最近では医療事故・過誤として、治療中に心臓破裂で死亡したケース(カテーテルで心臓に穴を開けた)などもある。いずれにしても、破裂した部位は早急に縫って止血しなければならない。
一九九九年三月二十六日午前四時半、鈴木雅人さんは友人の家から車を運転して帰宅中にゴミ収集車に追突した。明秀が救急隊から連絡を受けたときは、午前四時からやはり交通事故で頭部を負傷した女性の治療を行っていたため、救急処置室に空きはなかった。しかし、一刻を争うような重篤状態であると判断して引き受ける。そのような状況であれば、なかには断る病院もあるが、ここ川国市立医療センター救命救急センターでは断らない。これを断ると、受けてくれる病院に到着するまでに患者は死亡する可能性が高い。五分から十分という時間で処置しないと救命は難しいのである。
鈴木さんが救命救急センターに搬送されてきたのは午前五時三分。明秀は若い松浦有里子医師に女性の頭部治療を引き継ぎ、看護師とふたりで搬送されてきた鈴木さんの応急処置にあたり、医師の応援を呼んだ。
鈴木さんには意識がなかったから、明秀は一瞬「脳損傷かな?」と思った。
「脈はふれるか?」
「ふれません。血圧は五四の二六です」
「え?じゃ、出血だ」
血圧が低い場合は、どこかからの大量の出血が考えられた。胸部、腹部、骨盤骨折、両大腿骨折が大量出血しやすい部位だ。
点滴を開始してさらに超音波で検査すると心タンポナーデが見つかった。心タンポナーデとは、図のように心臓破裂部から流れ出た血流が、心臓を包んでいる袋の中に充満し、心臓と血流を圧迫することで、血圧が低下、さらに心臓停止する状態のことだ。心臓と袋のすき間に管を入れて、充満している血流を抜くと、低下していた血圧が上がってきた。また、腹部にも出血が見られた。左大腿は骨が突き出た状態の開放骨折。十五分後、緊急に心臓手術をするために三階の手術室へ。そのときには医師、看護師も応援に駆けつけていた。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
早く続きを読みたい、書籍で読みたいという方は
http://www.cbr-pub.com/book/003.htmlや
Amazonから購入できます。