救急現場、密着ドキュメント!⑦ 【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第1章 こちら救命救急センター
救急現場、密着ドキュメント!⑦
腸閉塞の手術は土佐医師の執刀で、明秀、麻酔医、看護師の四人が当たり、午前五時半に開始する予定で準備。カルテに書き込んでいる明秀を睡魔が襲ったのか、カクンカクンと頭が揺れている。聞くところによると、明秀は午前四時ごろに一度ダウン? するらしいが、この日は午前中から重症患者が続き、一睡もしていない。しかし、これから手術があるというのに大文夫かな、などと要らぬ心配をして処置室を出てウロウロしていると、小野寺医師が「私はこれで引き上げます」ということで、救命救急センターのエントランスで「お疲れさまでした」と挨拶をして別れ、再び処置室へ向かう。その前で明秀に声をかけられた。
「手術、見学しますか?」
「はい! 見学させてください」
生まれて初めて手術を見学するというので、つい大きな声が出てしまった。明秀のあとについて非常階段を昇り、三階の手術室の隣にある女子更衣室へ。
「それでは手術衣に着替えたら、手を洗ってください」
女子更衣室で術衣に着替える。キャップをかぶり髪の毛すべてを収め、口と鼻全体を覆う大きなマスクをする。指示に従い念入りに手を洗って手術室に入る。
すでに手術台の患者は全身麻酔をかけられ、頭と胴体は布で仕切られ、開腹する部分だけが露出された状態であとは布で覆われている。中医師と私は手術台から離れたところで、手術の模様を見学することにした。
土佐医師が電気メスで腹部を縦に切開していく。皮下脂肪の焦げた匂いがする。切開された腹部は明秀と土佐医師が両側から開き、鉗子で固定する。
鮮やかなピンク色の小腸が目に飛び込んできた。小腸はこんなに大いものだったのか。医師たちの手で小腸は持ち上げられ、詰まっている個所が発見される。私は日の前の光景にただ感動していた。
数年前に私は胃カメラ検査を受けたことがあり、そのときカメラが食道から胃へゆっくりと向かっていく様子をモニターで見たとき、「ああ、これが私の中身なのか」と苦しい中で感動した。外界にさらされることのない小世界の神秘的なメカニズムに心打たれたものだった。そのときの感動をはるかに超えた熱いものが込み上げてきたのである。
いま、腸閉塞の患者は意識の外にある。着衣を脱ぎ、 一皮を脱ぎ、日々、押し流されてくる飲食物を文句もいわずに消化するという役目に徹してきたピンク色の小腸。こうして、患者はついに音をあげた消化器官の再生を医師たちにゆだねているのである。涙があふれそうになった。なにかにつけて感激するたちである。
中医師が「医師と患者が作りだすアートでしょう」と言ってきた。そのような言い方もあるのか。「ほんとに素晴らしいです」と私は感動の連続。「患者を前にしてなんと不謹慎なことを」という声も聞えてきそうだが、スタッフの無駄のない動きにしっかり応える患者の肉体に敬意を払いたいという意味も含めて、私は感銘を受けたのである。
「中さん、写真を撮ってください」
明秀の声がした。中医師は手術台のそばに近づき、踏み台に上がってカメラを構える。うながされて私も踏み台に上がってのぞき込むようにして、キラキラ輝く小腸を眺めた。中医師が明秀の指示に従ってシャッターを切る。こうしてカメラで撮るのは小関センター長からの教えだと明秀が言っていたことを思い出した。
「映像や写真は大事です。一枚の写真は医者のカルテに書いてある文章よりも正確です。たとえば、交通事故で重症の患者さんの顔に傷があったとして、そのとき医者が顔のけがを重要視していなくても、二年後に後遺症の診断で顔に残った傷の診断書を書いてほしいといわれたとします。しかし、医者には顔の傷の記憶は何も残っていない。カルテにも書かれていない。肝臓の損傷や骨折のことはダメージが大きいのでカルテに一生懸命に書く。しかし、一命をとりとめた患者さん本人は最後には顔の傷を気にしたりしますから、患者さんが搬送されてきたときに、顔やお腹に小さな傷があったら写真を撮ります。それが何年後かには、医学的にも役に立つようになります。お腹にこれくらい傷があったら、内臓はこれくらいにやられている、という判断の材料にもなる。いろいろと有意義なことがあります」
腸閉塞で苦しんでいた小腸は息を吹き返し、回復した。
「よし、快調だな。腹腔内を洗浄して閉じよう」
小腸を持ち上げて腹腔内の洗浄が丁寧にしかも手早く行われる。え? そんなふうに洗っても大丈夫なの? 小腸が破れたりはしないの? などと私はここでもまるで機械のように精密で頑丈な人体のメカニズムに感心するのだった。切開した部分を合わせ、巧みな糸さばき?の縫合手術も早くて、まるで手品を見ているようである。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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