植物状態から甦って「コンセンセイ コンニチハ」⑤【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第2章 救命、そして再生への道
植物状態から甦って「コンセンセイ コンニチハ」⑤
卓くんは伝えたい気持ちにせかされるようにして、膝の上のキーボードを力強く打つ。どんな答えが返ってくるのか。私たちはいっせいに卓くんの左手の親指に集中した。早回の音声とともにその文字が浮かび上がる。
〈ササエガナクテモ アルケル アシガホシイ〉
「支えがなくても、歩ける、足が欲しい」
明秀はゆっくりと噛みしめるように言い、「卓くん、歩けるようになりますよ」
徹さんも「卓くん、大丈夫だよ。ここまで回復できたんだよ。必ず歩けるようになるさ」と息子の様子に目を細める。
「どれどれ」と明秀は身を乗り出し、
「ちょっと足を動かしてみてくれるかな」
卓くんは左膝の屈伸をしてみせる。右足のほうは脳のマヒが残っているため膝の屈伸ができない。また、曲がっていた膝を仲ばす手術をしたときアキレス腱を切断しているため足首の返しがきかないが、人工神経を使った再手術によって歩けるようにはなるという。
「うん、うん。いけそうですね。大丈夫だよ」明秀の言葉にうなずく卓くんが動きの不自由な手指をマッサージする。
「そうやって自分でもリハビリをしているんですよ。ね、卓くん」
息子のたくましさに父の顔もほころぶ。
明秀は卓くんが入院していたころのカルテをめくりながら「当時の看護師がいまの卓くんを見たら驚くだろうな。よし、ちょっと行ってみよう」と立ち上がった。
救急患者は救命救急センターのICUを退室すると、四階の救命救急センター後方病棟へ入院するのだ。四階のナースステーションには数人の看護師がいた。明秀が卓くんを紹介すると、記憶していた看護師が驚きの声をあげる。
「わあ、久しぶり。元気になってほんとによかったね」
しかし、ここに入院していたころの卓くんは意識がなかったので、みんなのことは覚えていない。看護師をまじえて記念撮影となる。
卓くんを見送るために正面玄関に向かった。
「ここでお別れしますけど、卓くん、元気でがんばってください。そして、いつかまた会いましよう」
明秀がしゃがんで卓くんの肩を抱きじめると、その表情が少し寂しそうに見えて、私は胸がつまってしまった。
息子が乗った車椅子を押す父。二人に注ぐ三月の陽光は、確実に春が来たことを告げていた。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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