植物状態から甦って「コンセンセイ コンニチハ」④【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第2章 救命、そして再生への道
植物状態から甦って「コンセンセイ コンニチハ」④
療護園滑川に入園して一年半、ここでの集団生活は卓くんをさらに明るく、一削向きにさせた。日から食べ物を入れて咀疇できるようになったことが何よりもうれしかった。食欲も旺盛で、朝、昼、晩の三食〈カナラズ クイマスヨ〉という卓くん。廊下を車椅子で一周できるほどの体力もついた。毎日のように音楽療法、体操、リハビリがある。
現在、人の言っていることは一〇〇%理解できるが、新しいことを記憶する働きがまだ不十分で、本人もそれが納得できないことなのだ。卓くんがキーボードを打ち、早国の音声が伝える。
〈カイバガ キズツイタカラ〉
カイバとは海馬と書き、側頭葉の内側部にある大脳皮質の部分で、両側の海馬を合わせた姿を脳の上方から見ると、ギリシャ神話に登場する海神ポセイドンがまたがる海馬(ウマの前半身と長い魚の尾をもつ)の前肢の形に似ていることからイタリアのボローニャの解剖学者 Giulio Cesare Arantio が Hippocampus(海馬)と名付けた。
「おお、海馬ね―海馬が傷ついて、意識が戻らないかと思ったけれど、ここまでよくなって、ほんとにすごいね」
明秀の大きな声である。
「口で食べられるようになってから、海馬が少しずつ治ってきているんです」
徹さんの回調がはずむ。
「咀曙するようになると顎から脳に刺激がいって脳がよくなるといわれてますね。逆に管で栄養を摂っていると、どんどん脳が悪くなってしまいますからね」
明秀と徹さんの会話を聞いていた卓くんがキーボードを打つ。
〈ガムナンカ イインジャナイ〉
一同爆笑である。現代人は食べ物をよく噛んで食べる習慣が失われつつあり、健康上に弊害が生じているので、ガムを噛むなどのリズム運動は脳を鍛えると言われている。さらに卓くんが
〈ジヨルマエノコトハカンペキニオボエテイマスヨ〉
と言葉を繰りだすと、
「それでは卓くん、けがをする前の記憶があるということは、もちろん分数の計算もできるんですよね」
明秀の冗談を理解して、おかしそうに笑う卓くん。
「ここまで回復したのだからあとは訓練だね。卓くん、よく見るテレビ番組はなんですか?本は読んでいますか?」
〈ジットシテイルノハ フトクイデスガ ナオシテイクツモリデス〉
即座に反応するこのユーモアセンスが卓くんの持ち味でもある。それにしても卓くんの回復力には目をみはるものがある()私は聞きたかった。
「いま、いちばんしたいことはなんですか?」
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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