心臓破裂が教えてくれたこと③【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第2章 救命、そして再生への道
心臓破裂が教えてくれたこと③
「心臓のけが自体は勝負が早いのです。最初に縫う止血手術ができれば命は助かります。また、鈴木さんの場合は骨のほうも化膿しなかつた。なかにはこれだけの重傷だと熱が上がったり、足の治癒のほうもうまくいかない人もいます。幸運にもすべての治療がうまくいきました」
予想救命率が一〇%以下。たとえそうであっても、初期判断からすべての治療まで連携がうまくいけば幸運な結果となる劇的救命例である。この連携がひとつの狂いもなく行われなくてはならない。やはり、それは奇跡に近いことではないかと、わたしは話を聴きながら感嘆するしかない。
鈴木さんは事故に遭う三時間前に友人とパソコンで遊んでいたことははっきり覚えているが、ゴミ収集車に衝突したことは記憶になく、処置室に着いたときはすでに昏睡状態だった。
「ICUにいたときも、看護婦さんに頭を洗ってもらつたことと、水の中にいるような感覚とかのかすかな記憶しかありません。意識を取り戻したとき、お見舞いに来てくれた家族や友達から、おまえたいへんだったんだぞと開かされて、ただただ驚くばかりでした」
「手術も集中治療も人工呼吸もすべてがたいへんでした。でも、鈴木さんは二十歳だったから、治癒力、回復力もありました。頭のけがは確かなかったはずですが、記憶力のほうは事故に遭う前と変わらない?」
「最初のころはけっこう記憶力が落ちていたんですけれど、本当にここ最近はしっかりしてきました」
「あ、記憶力が落ちた? 忘れてしまうということかな?」
「忘れちゃうというより、物覚えが悪くなって、物を覚えるのが苦手になりました。だから、メモするようにはしていました」
「搬送されてきたときは昏睡状態で、意識レベルが51点から3点にまで下っていましたからね。3点というのは、脳の機能がほとんど低下している。つねっても何をしてもまったく動かない。ただ、呼吸しているだけ。血圧も五四だったから、触れる脈がない状態。だから、一時、脳に血液がいかなかったから、そのせいもあったのでしょう」
「でも、いまは普通に生活していくうえではほとんど問題ないです」
「足の具合はどうかな? 何かスポーッはしていますか?」
「事故に遭う前は、野球やスノーボードをしていましたが、まだ左足に金具が入っている状態なので、怖くてスノボーはやめました。でも、クラブで踊ったり、ライブに行ったりはしています」
鈴木さんは事故に遭ってから自分と向き合う時間が多くなったという。以前は、「人生は楽しければいいじゃない」という軽いノリで生きていたのが、事故後はがらりと変わった。興味のなかった芸術面に心ひかれ、観たり聴いたりして喜びを感じるようになり、また、全言葉〉が好きになった。哲学者が残していった言葉を読みながら、生きている意味を考えたり、詩を書いたりしていないと、自分には何もなくなってしまうんじゃないかと不安になってくるというのである。
「みんなを悲しませるのはいけないなあ。おれ、いい意味で事故に遭ってよかったのかなって思いました」
「けがしたことをプラスに考えて生きてくれるとうれしい。助けがいがあるというものです」
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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