彩の国 東大宮メディカルセンター 中村 龍太郎
0年
秋田大学医学部医学科
遠距離恋愛中の恋人と会うためにアルバイトに明け暮れる日々でした。
医学生のアルバイトといえば家庭教師や塾講師が定番ですが、私はレンタルビデオ店で長く努めておりました。おかげで部活動や学業はさっぱりでしたが、映画とTVゲームの知識は大学の中でも一番だったと思います。
1年
彩の国 東大宮メディカルセンター 初期研修医
首都圏に住む恋人のもとへ向かうために埼玉県の病院に応募しました。その後、無事に結婚できましたので、就職活動は成功であったと自負しております。
初期研修中は、土日夜間問わず病棟から電話がかかってきたため、PHSの幻聴と戦う日々でした。最終的にはPHSの音が鳴る前に電話に気づくという、あまり役に立たない能力が身に付きました。
卒後3年目からは、総合内科か放射線科に進もうと思っていましたが、初期研修中に出会った患者さんがきっかけで救急の道に進むことを決めました。
3年
獨協医科大学埼玉医療センター 救命救急センター
「卒後3年目の半年以内に蘇生的開胸術やECPR導入を一通り出来るようになれるかどうか」という点と「多様な専門性を学ぶことを、医局が後押ししてくれるかどうか」という目線で選びました。
首都圏を中心に救命救急センターを10個以上見学しましたが、私にとってはこちらの医局を選んで本当に良かったと思っていますし、心から感謝しています。
在籍中に市中病院の外科、大学病院の集中治療部に出向させていただいた他に、IVRや消化器内視鏡のトレーニングも積ませていただきました。
6年
救急科専門医 取得
専門医を取ったとは言え、「自分のどこに専門性があるのか」と自問自答する日々でした。
この頃から、科の枠に囚われない診療スタイルを求めるようになったと思います。
7年
外科専門医 取得
初期研修時代の外科指導医、出向先の外科の先生方、所属する救命救急センターの先生方、そして何より患者さんのおかげで外科専門医を取得することができました。
外科の先生方に比べたら、私なんかが外科専門医を名乗るのはおこがましいですが、自分も外科医であるという気持ちだけは忘れずに今でも診療をしています。
8年
集中治療専門医 消化器内視鏡専門医 取得
救急の道を選択した理由の一つに集中治療を学びたいということがありましたので、集中治療専門医取得までたどり着いたことはとても嬉しかったです。
また、初期研修時代の消化器内科指導医の先生に、無償で内視鏡をご指導いただき、消化器内視鏡専門医を取得することができました。
自分なんて本当に大した人間ではないのに、手を差し伸べてくれる先生がいることに心から感謝しました。
8年
彩の国 東大宮メディカルセンター
古巣である大宮へと戻ってきました。
救急医としての勤務歴はまあまあ長かったにも関わらず、ER型救急の経験がほとんどなかったため、毎日新鮮な気持ちで学ばせていただいております。
また、研修医の先生達は自分にとって後輩になりますので、私よりももっと幸せな医師人生を歩んでほしいという気持ちで指導にあたっております。
9年
呼吸療法専門医 習得
好きな学会の専門医資格なので、取得できてうれしかったです。
呼吸療法に興味のある先生方は多いと思いますので、救急科専門医に加えてこちらの資格を持つ仲間も増えたら嬉しいと思っています。
9年
今後のプラン
歳を重ねるにつれて、社会構造やシステムの歪みに目が行くようになりました。
政治や行政の立場から改善を図るのも大事なことですが、私は教育や啓蒙活動を通して少しでも社会の成熟に寄与したいと思っております。
今はまだまだ微力ではございますが、今後はもっとメディアでの情報発信に力を入れて取り組んでいくつもりです。
とても「王道」とは言えない救急医としてのキャリアではございますが、もしキャリアにお悩みの先生がいましたら参考にしていただければ幸いです。
先生の「キャリアプラン」をお寄せください
内容のアップデートもお待ちしています!
先生がどういった経緯を経て救急医という職業を選ばれたのかを
熱いメッセージとともに寄せていただければと思います。
こちらの「キャリアプラン」アンケートフォームよりご投稿ください。
さらに、男女問わず結婚や出産、育児という家庭人としての経験と仕事を
どのようにバランスよくこなしてきたのかなどの体験談も併記いただける方は
こちらの「キャリアプラン+ライフイベント」アンケートフォームよりご投稿ください。
また、内容の修正などをご希望の際はこちらのお問い合わせフォームよりご連絡ください。
先生方の熱き想い、お待ちしております!
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