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医療法人社団美加未会 ひかりホームクリニック 亀山 大介

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卒後
0年

琉球大学医学部

亜熱帯気候の沖縄で、青い海、青い空、オリオンビールと泡盛を満喫しながら学生生活を送りました。
沖縄県は東西千キロ、南北四百キロの海洋県であり、遠隔孤立型の約40の小規模離島が点在しているため、 離島診療所17か所に医師一人、看護師一人が配置され、すべての疾患を診察治療しています。また離島で何でも診る医療を実際にみたいと考え、南大東診療所や多良間診療所、搬送を担当する陸上自衛隊那覇航空基地でも研修を行い、へき地への医療提供体制を体験的に学びました。その時に幅広く何でも診ることができる医師になりたいと思ったのが救急医への原点でした。

卒後
1年

琉球大学医学部付属病院・沖縄県立宮古病院 初期研修医

沖縄県内の臨床研修病院は離島でも活躍できることを前提に、総合診療医を育てるプログラムが大変充実しています。離島医療体制の発展の歴史は、離島前研修の充実、診療所の医療機器の整備や医療情報支援システムの構築、 代診医や専門医巡回診療の実施、急患搬送体制の整備等々、離島医を支える事に主眼をおいた制度設計と整備作りの歴史であり、制度設計の大切さも学ぶことができました。初期研修は琉球大学RyuMICコースで行い、2年目には離島である沖縄県立宮古病院でER研修を行い、すべての疾患をみる基礎をここで学びました。

卒後
3年

浦添総合病院救命救急センター 後期研修医

より重症な患者さんを診られるようになりたいと考え、県内の3つある救命センター中で、ドクターヘリも配備されることになった浦添総合病院を研修先に選びました。屋根瓦式の研修で、ERリーダーやICUで重症内科患者を担当し救急医の基礎を身に着けました、2008年にスタートした沖縄県ドクターヘリの立ち上げに関われたこともよい経験となりました。

卒後
6年

日本医科大学千葉北総病院救命救急センター 助教

日本医科大学千葉北総病院で外傷診療、プレホスピタル、災害医療の研修を行いました。狙撃された国松元警察庁長官を緊急手術で救った益子邦洋教授の下で、「救急医療に待ったなし」の精神と外傷診療に不可欠なスピード感覚を叩きこんでいただきました。また、大規模な災害への出動経験の豊富な先輩達のもとで災害医療を学び、日本一の規模で行われる成田空港エマルゴ訓練やJPTECコースの運営にも携わり、DMATインストラクター資格も取得しました。北総救命で学んだ同窓の先生方が、災害時に全国で活躍していることはとても誇らしく、素晴らしいことだと感じています。

卒後
9年

厚生労働省 大臣官房 国際課 / 厚生科学課 課長補佐

益子教授から「2年くらい役所に行って視野を広げてくるといいよ」とご指示をいただき、厚生労働省に出向になりました。言葉や作法がわからず研修医に戻ったような気分でしたが、国際課でWHO総会の準備と出席、また厚生科学課では原子力災害対策担当となり福島県庁や原子力規制庁の方々と協力して福島第一原発で働く皆様の健康管理や、原子力施設立地地域の避難計画の立案などに携わりました。原子力災害担当としては医師が私しかおりませんでしたので、施策に医学的要素を織り込んでゆく役割を担いました。

卒後
10年

厚生労働省 医政局地域医療計画課救急周産期医療等対策室 救急医療対策専門官

厚労省2年目は医療の仕組みを決める医政局で、歴代出向救急医が担当してきた救急医療対策専門官を拝命し、出動件数の増加し続ける救急車や、負担の増す救急病院に対してどのような対策が必要なのか、また病院の機能強化のためにどのような支援が必要なのか、上司や救急医学会代表理事の行岡先生をはじめとする専門家の皆様と膝を交えて議論し、診療報酬での評価や、補助金の増額に挑戦しました。

多くは厳しい財政のもと達成できませんでしたが、ドクターヘリの拠点毎の補助金増額や、近い将来直面するであろう課題に対して厚生労働科学研究の研究班を設立して施策へ反映させる筋道をつけることができました。また同じ医政局内では地域医療構想を立案し、医療法を改正し、消費税増税分の予算を投入し、各都道府県や日本医師会とともに高齢化社会に備えた医療システムの改革を行っていました。病院だけでなく、訪問診療への転換や福祉施設等をすべて活用して、これらの需要を受けとめていくという制度設計の過程を目の前で見ることができたことは大変有意義でした。

卒後
11年

医療法人社団美加未会 ひかりホームクリニック

厚生労働省の2年の出向期間が終わり、在宅のクリニックの開設、運営に携わることになりました。まさに地域医療構想では在宅診療が高齢者への医療提供に大変重要だとされ、救急病院がその機能を果たすためには後方の慢性期医療施設や在宅医療がしっかりしていなくてはいけないからです。上司である日本医科大学の横田教授にご理解をいただいたことも大きな後押しにもなりました。「池を一周してみたら一番遠いところが実は一番近かった、救急医療と在宅診療もそんな関係や」と救急医学会の行岡代表理事にも励ましの言葉をいただいたところです。

病状が悪化する前に先手の治療をうち、入院が必要であればきちんと入院先を手配し、できるなら自宅で穏やかな最期を迎えられるよう調整する、患者さんや救急病院と良好な関係を築けるそんな在宅診療を目指しています。院内院外の調整役となる救急医は、行政官や在宅診療に一番向いているのではないかとも感じています。  ご関心があれば”救急医をやったあと”のキャリアパスとして覗きに来ていただければさいわいです。

未来へ

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公開日:2016年5月30日