植物状態から甦って「コンセンセイ コンニチハ」③【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第2章 救命、そして再生への道
植物状態から甦って「コンセンセイ コンニチハ」③
二〇〇〇年五月の祝日、その日も父の徹さんは卓くんに会いに国立療養所東埼玉病院へ行った。ベッドで目を開けている卓くんに新聞のテレビ番組表を見せて、「卓くん、何か見たい番組があるかな」といつものように声をかけた。聞こえているのかいないのかはわからなくても、できるだけ話かけるように努めていた。ところがこのときの卓くんの様子はいつもとちがった。父の声に反応したのか、なんと番組表に視線を向け、ゆっくりと指を差したのである。
徹さんは驚いた。それが卓くんの意識回復のはじまりだった。しかし、脳の損傷がひどかったため、言語障害と運動障害が残った。
「ぼくの言っていることがわかつたんですね。それからは少しずつ、少しずつよくなっていきました。そうなると、親として、息子に会うのが癒しになるんですよ。昔のままの明るい性格が残ったんです」
父の話を聞いていた息子が笑った。「卓、なに笑っているんだよ」と照れる父。「うれしいんだよね、卓くん」と言って明秀が続ける。
「わたしが蓮田の東埼玉病院に行ったとき、ちょうど卓くんが風呂に入っているところで、おお―って挨拶してくれたんですよ」
東埼玉病院の中の養護学校は、入学という形をとれば三年の卒業まで在籍できるシステムで、二〇〇二年三月に卓くんは高等部を卒業した。
「そうか―、卓くんは高卒なんだ!」
歓声をあげる明秀、大笑いをする卓くん。
「国立療養所東埼玉病院は、リハビリテーションの結果がいいので、ほかでは手に負えない非常に重症な患者さん、数年は様子を見ないとよくならない患者さんをお願いしています。そのなかでも卓くんは重症でした。こんなによくなることは奇跡ですね」
卓くんの意識回復は日増しに進み、さらなる機能の回復をめざし、蕨市役所の紹介で身体障害者療護施設の療護園滑川に行くことが決まったが、卓くんは曲がっていた右足の手術のため、上尾市にある県立リハビリテーション病院へ。そして、七月一日に療護園滑川へ転園した。
九月、卓くん九月、卓くんは気管切開した部位を閉じる手術を受けるために川国市立医療センターに再入院。通常、数力月間の気管切開状態なら、切開部からチューブを抜けば、数日で切開部は自然閉鎖する。しかし、一年以上も気管切開状態である場合は閉鎖する手術が必要となってくるのだ。再生への道を歩いていく卓くんにとって、意識回復後に受けるつらい手術も特別な意味と力を持つのである。
手術後、「あ。い。う・え・お」と言えるようになった。
「ありがとうございます」「どういたしまして」
以前よりも発音がよくなった。ここで明秀と再会した卓くんはワープロで挨拶をした。
〈コンセンセイ コンニチハ オセワニナリマシタ〉
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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