栃木医療センター 救急科 匿名希望
0年
名古屋市立大学医学部
地元私立大学薬学部を卒業後、再受験で入学。サークル、学祭実行委員、バイト、地元の空手道場で稽古に勤しむ日々を送り、決して真面目な生徒ではなかったと思います。とりあえず留年せずに進級することをモットーに学生生活を送っていました。ちなみに学生の頃は小児科志望でした。
1年
湘南鎌倉総合病院 初期研修医 【神奈川県】
志望した病院が全てアンマッチになり、二次募集で小児科プログラムの枠が空いていた湘南鎌倉総合病院に初期研修医として入職。本当に本当に濃い二年でした。ここで小児救急に出会いました。湘南鎌倉総合病院ERではいろいろな経験をさせていただき、救急も楽しいなという気持ちが芽生えましたが小児科志望の気持ちは揺らぎませんでした。
3年
大同病院 小児科 専攻医 【愛知県】
結婚
初期研修で救急の楽しさを知ってから、地元愛知県で小児科の救急車がたくさん来る病院と聞いて大同病院小児科へ入職、まさに小児科の野戦病院でした。教育熱心な上級医がたくさん在籍しており、いろいろな症例を経験しました。学会発表もたくさんしました。入職した年に結婚しました。
7年
第1子出生
第1子
出生
8年
小児科専門医
取得済生会宇都宮病院 救急集中治療科 【栃木県】
小児科専門医を取得したあとのサブスペをどうしようか考えていた卒後7年目に心室細動CPA男児を当直対応した際に自分の無力さを痛感。CPA、外傷に強い小児科医になりたいと考え、医局が提示した進路を断り、3次救急病院の救急科に入職。いろいろな症例、手技を経験、小児科医とは違った救急科医の思考をたくさん教えていただきました。この年に小児科専門医を取得しました。
9年
第2子出生
第2子
出生
10年
埼玉県立小児医療センター 小児救急救命センター 【埼玉県】
3次救急病院の救急科に在籍する小児科医として、小児科から相談を受けるも、学んだ知識や経験に基づいて答えることのできていない自分に気づき、日本のPICUの元祖である植田育也先生が長である埼玉県立小児医療センターに入職し、小児救急集中治療を学びました。また、小児科専門医+救急科専門医という経歴を持っている先輩にも出会い自分の経歴は決して間違えていないという自信にも繋がりました。
11年
救急科専門医 取得
第3子出生
第3子
出生
3人目の息子が産まれ、家庭が忙しくなり始めたと同時に救急科専門医試験を受験し、何とか合格。念願のダブルボードになりました。
12年
栃木医療センター 救急科 【栃木県】
第3子の出生後、家庭優先で働ける職場を探していた際に栃木医療センターを紹介されました。小児科医より救急科医の方が自分に合っていると感じたため、救急科医として入職しました。栃木医療センターは2次救急病院であり、内科救急の症例が多く、内科の勉強をする日々です。
これからのプラン
小児科専門医を持つ救急科専門医(ダブルボード)として、自分のように進路に迷っている専攻医の相談を受けたり、指導出来たらと考えております。今後は救急科医の指導医を取得する予定です。
先生の「キャリアプラン」をお寄せください
内容のアップデートもお待ちしています!
先生がどういった経緯を経て救急医という職業を選ばれたのかを
熱いメッセージとともに寄せていただければと思います。
こちらの「キャリアプラン」アンケートフォームよりご投稿ください。
さらに、男女問わず結婚や出産、育児という家庭人としての経験と仕事を
どのようにバランスよくこなしてきたのかなどの体験談も併記いただける方は
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また、内容の修正などをご希望の際はこちらのお問い合わせフォームよりご連絡ください。
先生方の熱き想い、お待ちしております!
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