和歌山県立医科大学 高度救命救急センター 木田 真紀
0年
島根医科大学(現 島根大学医学部)
バスケットボール部と軽音楽部に所属していました。バスケでは中国四国大会で優勝しました。
一番の思い出は、2点差で負けていた試合で、残り3秒の時点でジャンプボールから受け取ったボールで3ポイントを決めた試合です。
当時、母校には救急科はありませんでした。父親が救急をしていたので、反抗期もあってか、救急には全く興味なかったです(笑)
1年
和歌山県立医科大学 初期研修医
一年目に透析室で研修をしていたとき、目の前で急変した患者がいました。
蘇生の知識がなく、処置もできない自分が不甲斐なく思い、落ち込む日々でした。その当時、半年のみ、他の病院で研修してよいことになっており、半年間、東京医科大学 八王子医療センターの救急部、麻酔科で研修しました。救急研修はやりがいがあり、とても充実していました。
救急の守備範囲の広さを考えると自身がなく、透析の道を歩んだほうが良いのでは、と悩んでいた矢先、電話で「救急の入局手続きをしといたから」と教授から電話があり、そのまま救急の道に進むことになりました。
3年
和歌山県立医科大学 救急集中治療部 助教
平成15年からドクターヘリのフライトドクターになりました。
フライトドクターになることで和歌山県の救急医療が俯瞰的に理解することができました。また、限られた医療資源での救急処置を習得する機会になりました。
救急だけではなく、集中治療室で勤務し、重症患者の集中治療を学びました。
8年
救急科専門医、集中治療専門医 取得
救急科専門医、集中治療専門医を取得しました。
10年
結婚
結婚
結婚しましたが、生活は以前と変わりなかったです。
12年
救急科指導医 取得
第一子
出産
出産して2週間後に救急科指導医の面接がありましたので、骨盤の動揺を感じつつ、東京へ行きました。育児休暇は取れる環境でしたが、研修医の先生の真似をして産後2か月半で復職しました。当直は免除してもらいました。
私見ですが、復職は半年後の復帰くらいがおすすめです。シフト勤務ですので、子供がいても勤務可能だと思います。
17年
和歌山県立医科大学 救急集中治療部 講師
家庭と仕事のバランスがむずかしいこともありました。体力と時間の使い方次第なのかな、と感じている日々です。
18年
これからやりたいこと
研究がしたいです。皮膚の創傷治癒に関して研究をしています。
家庭はそれなりに大変ですが、もっともっと勉強したいです。
また、男性も女性も子育てや介護など、ライフイベントがあっても、明るく働ける環境づくりのお手伝いができれば、と考えています。
先生の「キャリアプラン」をお寄せください
内容のアップデートもお待ちしています!
先生がどういった経緯を経て救急医という職業を選ばれたのかを
熱いメッセージとともに寄せていただければと思います。
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さらに、男女問わず結婚や出産、育児という家庭人としての経験と仕事を
どのようにバランスよくこなしてきたのかなどの体験談も併記いただける方は
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