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救急現場、密着ドキュメント!① 【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】

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プリベンタブルデス ある救急医の挑戦

 

 

 

 

 

 

救命の最前線にいる彼らのことを
私は何も知らなかった

 

 

 

 

 

 

第1章 こちら救命救急センター

救急現場、密着ドキュメント!①

午後五時すぎ、今明秀の携帯電話が鳴った。

「はい、今です。三歳ぐらいの女の子、首に絞められた跡、呼吸はあるけど、意識はない。わかりました」

救急隊からの連絡を受けた明秀は患者の症状を確認して電話を切った。 一瞬、私の脳裏に虐待? の二文字が浮かんだ。明秀の表情も変化したように見えたが、「よし、行こう」と立ち上がった。

「虐待かな。ここのところ、多いなあ」

エレベーターに乗り込むと、明秀は独り言のようにつぶやいた。近年、加速度的に増加する子どもたちのいたましい虐待死。やりきれない思いがわいてくる。

ここ川口市立医療センター一階の救命救急センター処置室では、すでに四人の医師(うち二人は応援に来ていた日本医科大学付属病院高度救命救急センターの小野寺謙吾医師と自治医科大学附属大宮医療センターの中圭介医師)と三人の看護師が搬送されてくる患者の受け入れ準備に追われていた。私は借りた白衣を着て、邪魔にならないよう隅のほうに立ち、そこから観察することにした。

午後五時二十分、担架に乗った小さな女の子が到着した。救急隊員の現場状況の報告によると、母親はすでに首を吊って息絶えており、そのそばにはぐつたりした小さな女の子の姿があり、意識はなかったが呼吸はしていたという。

女の子はストレッチヤーに移され、首に頸椎カラーがまかれる。三九・三度という高熱のため冷却マットが敷かれ、体温モニターが設置された。

母親に首を絞められた子どもの場合、日常的に虐待されているケースもあるので、その跡がないか調べる。首には索条痕(絞められた跡)が認められたが、虐待と見られるような形跡は身体のどこにもないことを明秀は確認した。

上肢に輸液ラインの確保ができず、骨髄内輸液を急速導入。骨髄内輸液は、明らかなショックにあり、上・下肢に静脈路を確保することができないときに、すねの膝に近い部位の骨の髄に太い針をねじりこんで、ここから点滴を開始する。骨髄は血流が豊富なので静脈の中に入れたのと同じ効果が得られるのだ。

「女の子の母親はうつ状態にあつて、病院にも通っていたそうです」と救急隊員の一人が報告すると、「それはあとで聞きます」と明秀。

骨髄内輸液

首を絞められると、気道閉塞となり、頸部血管閉塞(頸動静脈)、頭顔部蒼白、うっ血状態、神経圧迫されて死に至るが、そうでなくても、酸素も脳に送り込まれなくなるため、脳に障害が残り、植物状態に陥ることもある。

娘の細い首を絞めた母親は何を思ったのだろう。ためらいがあったはずだ。そして、首を絞められた三歳の子どもの目に母の顔はどう映ったのだろう。その子どもがいま意識を取り戻せず重篤な状態にあるが、幸運にも意識回復したとき、子どもの記憶には自分の首を絞めた母親の残像だけがあるとしたら、心の傷になりはしないだろうか。母子無理心中の悲劇である。

私は目の前の現実に動揺していた。女の子の小さな素足が痙攣のためかぴくんぴくんと動くので、かわいそうで泣きそうになったが、ぐっとこらえて直視した。スタッフたちが無駄のない動きで、きびきびと処置に当たっている。

次回に続きます…

プリベンタブルデスーある救急医の挑戦本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。

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公開日:2017年5月12日