生き埋めだ、それ行け、ドクターカー! ④【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第2章 救命、そして再生への道
生き埋めだ、それ行け、ドクターカー! ④
それから一年後のまさに春の日、私は明秀とともに川国市立医療センターの食堂で田尻さん一家と会った。
田尻さんは土中から引き上げられたときの重度外傷を受けた顔面とは思われないほど回復した様子である。しかし、右眼球を失っているため、その傷跡が痛々しい。すでに形成手術だけでも七回を数えており、いかに重傷だったのかがわかる。
「やあ、田尻さん、あれだけの重傷を負ったとは思えないくらいきれいな顔になりましたね」
開口一番、明秀は大きな声で挨拶をする。
田尻さんは「今先生のお陰です。お世話になりました」と挨拶してから、
「すべての治療が終わつてから義眼の手術をすることになっています。見た目は気にしていないので、義眼は入れなくてもいいと思いましたが、今後のことや子どものことを考えて手術することにします」
生き埋めの窒息による後遺症はなかったものの、顔面の外傷による後遺症に悩まされている。一度破壊された上顎と下顎の再生というのは、どんな優秀な形成手術によっても困難であり、食物を噛みくだく運動能力の回復には至らないため、固いものは丸のみにして流し込む。また、舌も損傷を受けて短くなり、味覚が失われたという。
現在の症状を語る田尻さんの回調には悲痛さは感じられず、むしろ明秀と会って次から次ヘと正直な気持ちがわいてくるのだろう。
「田尻さんの顔を見たら、これはたいへんなことだとびつくりしました。救急車の中でも懸命に止血していたのですが、救命救急センターに搬送してからもとにかく血が止まらなかった。大急ぎで骨を合わせて、肉を合わせて、顔の形をつくりました。命がつながった。私たちにはあれが最大限で、あれ以上はできませんでした。田尻さんが埋まったとき、少しの間は意識があったと言っていましたよね」
「土砂が崩れて一瞬のことでした。立ったままで身動きできない。でも、意識はあって、誰か助けにきてくれるかなと思いました。一瞬、顎がずれたのはわかりましたが、あとは意識がなくなって。救急車の中で意識が戻ったのは覚えています」
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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