救命救急センターは社会の縮図⑥ 【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第1章 こちら救命救急センター
救命救急センターは社会の縮図⑥
ある日、二十八歳の男性が五十五階建て高層マンションの四十三階から飛び降りた。普通に考えれば、即死である。救急隊が現場に駆けつけると、男性の身体は地上三階に張ってあった防護ネット(ステンレス製・固定)を一部破損し、さらに下の鋼入リガラスを破り、指と背部をアルミフレームに引っかけて止まっている状態だった。意識はあったが、四肢を動かすことができなかったため、全身を固定して搬送された。男性は骨盤骨折だけで一命をとりとめた。なぜ、助かったのだろうか。
「通常、ビルの五階から落下した場合、即死あるいは重傷ですが、三階の防護ネットに落ちたときに支えていた鉄柱が折れ、一階部分の強化ガラスが割れた。この一、二、三のショック吸収操作があったから助かったんですね。でも、奇跡としか言いようがありません」
さらに別の日、連鎖するようにまたもや同じビルから飛び降りた男性が搬送されてきたが、こちらも命に別状はなかった。
「先生、助けてくれてありがとうございます。これからはちゃんと生きていきます」
そういって命を救われた患者たちが退院していく一方で、自殺未遂の患者の中には、「なんで、命を助けたんだ。なんで、死なせてくれなかったんだ」と怒る人、重傷を負ったことでますます生きる気力をなくして嘆き悲しむ人、そして退院後まもなく自殺して、センターに運ばれたときには絶命していたという人もいる。さすがに、悔しさがこみあげてくるという。
「悔しいですね。せっかく命が助かったのだから、生き抜いてほしい。でも、しょうがないのかなと思います。患者さんの背景にあるものはこちらとしてはどうしてあげることもできないのです」
ホームレスの患者が救命救急センターに搬送されてくることもたびたびある。明秀が青森にいたときにはホームレスを見かけることはほとんどなかったので、川口に来て驚いたという。ホームレスの人たちは基本的に、テントやダンボール、公園のベンチなどをねぐらにしているため、猛暑の夏や厳寒の冬はとてもつらいだろう。風呂に入ることもできないし、着の身着のままどいう人がほとんどだ。身体の調子が悪くても病院にも行けず、当然のことながら健康状態は極めて悪い。
ある日、橋の下に住んでいたホームレスの男性が搬送されてきた。糖尿病の合併症のため目が不自由になり、ガラスを踏んでけがをしても足の状態が把握できず、そのうち歩けなくなってしまった。見るに見かねた友人のホームレスが一一九番通報してきたのである。
ホームレスが搬送されてくると、まず着ているものを脱がすのがひと苦労。何年も着の身着のまま、風呂にも入っていないのだから、強烈な臭いだけでなく全身がシラミだらけの人もいる。殺虫剤で退治して、脱がせた服にも殺虫剤をまいてビニール袋に入れた後に焼却する。それから風呂に入れる。
患者の左足を診察をすると、骨折していた患部にウジ虫がわき、糖尿病の合併症による壊疸を引き起こしていたため足を切断手術した。それから、明秀は身体障害者と生活保護の申請をした。患者の話を聞けば、明秀と同じ青森の出身だった。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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