植物状態から甦って「コンセンセイ コンニチハ」①【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第2章 救命、そして再生への道
植物状態から甦って「コンセンセイ コンニチハ」①
関東地方の桜の早咲きが伝えられていた二〇〇四年の春分のころ、今明秀にとって忘れられない患者の一人、石川卓くん(二十二歳)が父の徹さんに車椅子を押してもらつて救命救急センターにやってきた。卓くんは交通事故がもとで植物状態に陥ったが、一年半ぶりに意識を取り戻した。脳障害による機能障害はあるものの、その後はめざましい機能回復を遂げている。
植物状態というのは、遷延性意識障害と呼ばれ、大脳が機能廃絶に近い状態だが、自発呼吸をつかさどる呼吸中枢のある脳幹部は完全に生きている。多くは自力では呼吸しているが、自発的に意思表示できない状態。栄養を与えると消化、吸収、排泄は無意識にするが、自力で移動や摂食ができず、日は対象を追うが認識することができない状態をさす。普通、数力月も同じ状態が続けば植物状態と診断されるのである。
植物状態の患者をそのままの状態で長く生存させるのには看護は必至であり、チューブを使った栄養・水分の補給、気道が塞がらないよう常に痰を取り除き、運動も欠かさず、排便の世話、体位交換や清拭をひんぱんに行う。しかし、一方ではいつ回復するかわからずに生かし続けるということは、患者にとっては何の意味も持たない、自然死を妨げられては迷惑、人間の尊厳を保つべきだとする見方もある。また、植物状態に陥った救急患者の家族の反応もさま
ざまである。
「たとえ、植物状態でもいいから、命が助かってほしい」と願う人がいれば、「植物状態になったら家族がたいへんだ」と考える人もいる。実際、術後に意識が回復しなかったことで「手術が失敗して植物状態になった。医療ミスだ」と訴える家族もある。しかし、意識回復の可能性を信じることもできる。最近ではさまざまな治療やリハビリテーションによつてまれに意識を取り戻すケースもあるからだ。植物状態は脳死とはちがい、脳幹や小脳の機能が残っているので、ゆっくりではあるが、機能が回復していくことも可能なのである。ただ、植物状態に陥ってから半年以内ならば回復例などは相当数あるのだが、時間が経てば経つほど回復は難しくなる。とすれば、卓くんの一年半ぶりの意識回復というのは、奇跡に近いのではないだろうか。明秀はこう言う。
「脳の損傷がひどい場合、手術をしても命が助からない、あるいは植物状態に陥ることがわかると、ほかの病院では手術をしないかもしれません。でも、ン」の救命救急センターではがんばって手術をします。可能性が一%でもあるかぎり、命をつなげたい。まして、卓くんは十六歳という若さでした。卓くんの意識の回復はリハビリの効果でもあります」現在、卓くんの日常会話は、キーボードを打つと音声が出る仕組みのワープロが頼りだが、簡単な挨拶ではその肉声が飛び出る。「卓くん、こんにちは。元気になったね」と明秀が挨拶すると、で」んにちは」と返ってくる。
そして、「よろしくおねがいします」の声がこちらの耳にも確かに届いた。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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