2トントラックに4WD車が突っ込んだ「お父さんを助けろ ! 」①【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第2章 救命、そして再生への道
2トントラックに4WD車が突っ込んだ「お父さんを助けろ ! 」①
川口市立医療センター救命救急センターに搬送されてくる重症者の約二五%が交通事故の重症外傷である。交通事故による死者の数はここ十年の推移を見てみると、一九九五年には一万人を超えていたのが翌年には一万人を切って、以降年々減少の傾向にあり、二〇〇四年には七三五八人と十年前に比べると三〇〇〇人以上の減少である星〓視庁調査)。一方、二〇〇五年上期などは、歩道にトラックや乗用車が突っ込み、一度に何人もの命を奪うという痛ましい事故も記憶に新しい。自動車および二輪車乗車中の衝突事故減少の原因としては、シートベルトの着用、ェアバックシステムの搭載による事故時の乗員保護がある。そして、確実に救命率を上げている救急医療の発達も事故死の減少につながっている。
この第二章では、救命率の少ない重症者が見事によみがえり、再生への道を歩んでいる姿を追った。重症者の救命に成功するときというのは、一刻を争うすべての連携がスムーズに行われ、救急医の的確な判断によるところが大きいのと、「運がよかった」としか表現のしようがないようないくつかのタイミングのよさが垣問見えてくる。
ある朝突然、林昇さん(当時五十八歳)が運転していた2トントラックに、分離帯を超えて4WD車が飛び込んできた。原因は相手の居眠り運転だった。林さんは車体に挟まれた両足の激痛をこらえながら、自ら携帯電話で「事故が起きた―」と勤務先に連絡した。本人からの電話だったので、それほどのけがではないと誰もが判断しがちだが、実は救急隊が来たときにはかろうじて住所や名前を言えたものの、そのあと林さんはショック状態に陥った。救命率二〇%、「お父さんを助けろ―」と今明秀をはじめ救急チームは一九となって林さんの救命に当たった。
二〇〇三年九月二十六日午前八時五十七分ごろ、埼玉県草加市国道四号線(草加バイパス)上り車線を2トントラックが走行していた。突然、下り車線から走行してきたオフロード4WD車が、中央分離帯を越えて突っ込み、2トントラックはボンネットがないため大破した。草加市消防署の救出専門チーム(レスキュー隊。新潟地震で、生き埋めの子どもを救い出したオレンジ色のユニフォームを着た部隊)が救急隊と同時に出動し、男性を車外へ救出するまでに十五分かかった。救出に二十分以上かかる場合は、生命に関わることが多い。このときは十五分なのでかなり深刻な事態である。
「名前は?」「住所は?」と救急隊員が質問すると、かろうじて答えが返ってきたが、あとは「ウーウー」とうなるだけで意志の疎通ができず、不穏状態となった。顔面は苦痛にゆがみ、痛みの刺激で開眼する程度(意識JCS。3)、また脈拍も手首の撓骨動脈で弱く触れるほどで、全身に冷や汗をかいていた。ショック状態にあった。尿失禁、胸部に打撲痕、両下腿が不自然に変形し、折れた骨が飛び出し、右大腿は直角に曲がっていた。血圧測定不能、経皮酸素飽和度測定不能、呼吸音は左側が聞こえなかった。星野浩幸救急隊長は、酸素を最高量の一五リットルに上げて投与し、男性をバックボードに固定して救急車に運び入れた。午前九時十六分、救急隊長は川口市立医療センター救命救急センターヘ第一報を入れる。
「高エネルギー事故です。ショック状態、呼吸不全、意識障害、胸部外傷、大量血胸とフレイルチェスト(動揺胸部)と多発開放骨折、頭部外傷で、ロードアンドゴーで、収容まで十分です」
こうしてショック状態の患者を乗せた救急車は川国の救命救急センターを目指して走った。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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