八戸市立市民病院救命救急センター①【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第3章 救急こそ医療の原点
八戸市立市民病院救命救急センター①
東京駅から東北新幹線「はやて」で約3時間。私が青森県八戸市に行ったのは2004年10月半ば、青空が清々しい秋晴れの日だった。北へ北へと向かうほどに車窓から眺める風景は素朴な田園へと変わり、空はどこまでも広く続いていた。
八戸市は青森県の南東部に位置し、太平洋を望む、全国屈指の水産都市であり、また東北有数の工業都市として発展した特例市である。2002年12月に東北新幹線八戸駅が開業して以来、八戸市は急速に活気ある街になった。
八戸駅からJR八戸線に乗り換え、本八戸駅で下車した。1度ホテルにチェックインして、駅前からバスに乗って15分、着いた先は八戸市立市民病院である。午後4時を廻っていた。4方に広がる田園地帯がとてものどかで、遠くに望む階上岳の山並みが美しい。
私がここに来たのは、川日から八戸に異動した救命救急センター所長の今明秀を訪ね、取材をさせてもらうためだった。
八戸市立市民病院(1958年開設)は県南地方の基幹病院である。高度医療、特殊医療を担当し、特に急性期医療を担い、1997年に新病院の移転建設にあたっては、24時間体制の救命救急センターと出産前後の母体と胎児、新生児を1貫して治療できるように周産期センターが設置された(病床数は611床)。
救命救急センターは、脳卒中、心筋梗塞、頭部損傷など重篤な患者の救急医療を行い、休日夜間急病診療所や在宅当番医などの1次救急医療機関や、2次輪番病院の後方病院として重症の患者を24時間体制で受け入れることのできる施設である。重症熱傷の患者のための高度集中治療室、心疾患集中治療室など30床がある。
病院の建物中心部のシンボル的な空間となっている広々としたホスピタルモールは天丼採光や木を基調とした壁面、全体的に明るい色彩でまとめられ、とても柔らかな印象だ。このモールは、外来、薬局、検査、病棟・管理部門などすべての部門につながっていて他部門への移動もスムーズ、またミニコンサートや絵画などの展示もできるので、コミュニティサロンとしても利用されている。モールの椅子に腰掛けて全体を見ていると、ここはまるでホテルのようだ思う。最近の病院は天窓からたくさんの光がさしこむような設計の建物が多いらしい。
白衣をまとった今明秀がこちらに向かってさっそうと歩いてくる。川口市立医療センターからここの救命救急センター所長に着任してすでに半年、相変わらず元気そうである。
川口の救命救急センターは、これまでも書いてきたように圧倒的な症例数と難しい外科手術、患者が退院するまでの完結型の救急医療を行う、全国でも数少ない医療施設だった。瀕死の重症にある患者の命は、たとえ1%の可能性でもあれば助けたいと果敢に挑戦していた明秀は新天地の八戸に何を求めたのだろうか。
「あのまま川口にいれば技術と知識が上がり、5年後には胸を張って堂々と青森に帰ることができるかもしれません。しかし、そのころだと口が達者でも体力は確実に落ちていて実践がともなわないのではないか。ちょうど自分の中で外科医としてはある程度、到達できたという自負があり、川口ではやるべきことはすべてやり尽くしたというふんぎりがついたのです。そして、青森県出身であることが川口を離れようと思った理由の1つでもあります。青森県は医者が不足しており、救急が遅れているので、その部分を改善できるのではないか。やるのであれば、自分の救急医療が見本となるうちにやってみたい。ステップアップするチャンスはいましかないと思いました」
そう決心したとき、明秀は45歳だった。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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