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八戸市立市民病院救命救急センター③【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】

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第3章 救急こそ医療の原点

八戸市立市民病院救命救急センター③

私は院内をひととおり見学してから夕食用の弁当を売店で買い求めて初療室に戻ると、時刻は6時を回っていた。

階段から転げ落ちたという若い女性が運ばれ、整形外科医、研修医2人が初療に当たっていた。患者の意識ははっきりしており、医師の質問にも答えている。足に腫れが見られた。患者はレントゲン室へ移動。明秀は小一時間ほど研修医に指導をしたあと、夕食をとろうということになり、医務室へ。テーブルの上には当直の医師のために食事が用意されていた。雑談などをしながら食事をとった。

初療室の隣の部屋で明秀にインタビューをしていると、また救急患者が搬送されてきた。初老の男性で、酔っぱらつて転んで頭を強打したという。車椅子にのった男性の頭に当てられたガーゼには血がにじんでいる。

「お酒はたくさん飲みましたか?ちょっと息を吐いてみてください」

明秀は患者の回元に顔を近づけた。患者はバツの悪そうな表情を見せてから息を吐いた。

「お、焼酎の匂いがしますね?」

「いやあ、そんなたくさんは飲んだ覚えはねえけど」

赤い顔をした患者は明らかに酪酎している様子だ。

八戸の救急患者には酔っぱらって転んで運ばれてくる人が多く、特に冬は雪のため道路も滑りやすくなっているので、その数は倍増する。また、雪国では長い間ストーブを炊くので熱傷患者が急増するという。この熱傷の治療について、明秀は後期研修のときに貴重な経験を積ん
でいる。

研修先だった青森県立中央病院は、当時は県内唯1の3次救急病院で、重症患者が搬送されてきた。冬には熱傷の患者が多かったが、そのほとんどが死亡していた。重傷の熱傷患者というのは、受傷後の一時は元気に見えても、死亡することが多い。「まったく間違った治療をしていたのに誰も気がつかなかった」と明秀は悔やんだ。

ある日のこと、搬送されてきた熱傷の患者を明秀が診ると、外科医に「これからはきみが熱傷の患者も診なさい」といわれ、外科だけでなく熱傷科もやっていこうと思ったのだった。ちょうどそのころ、北海道の札幌医科大学にロシアで熱傷を負ったコンスタンチンくんが搬送され手術を受けたことが話題になり、明秀は大いに刺激を受けた。また、この時期に菊池外科部長から「日本救急医学会、日本外傷学会に入って青森県立中央病院の症例を学会で発表しなさい」と言われる。

発表すべき症例はたくさんあった。ヤクザの抗争で銃創を負った患者の手術をして学会に発表したり、交通事故で肝臓破裂したトラック運転手を助けたり、と外科の延長で救急を経験したのである。

「忙しいのが好きなもので、誰もやらない救急をしました。ほかの人がいやがる面倒な外科救急は全部やるつもりで、かなりの経験を積みました」

それらの経験もあったからこそ、症例数の多い川国の救命救急センターにおいても生かされたのである。

初療室の時計は午後10時半を回っていた。明日また取材に来よう。私はホテルに戻ることにした。

次回に続きます…

プリベンタブルデスーある救急医の挑戦本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。

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公開日:2018年2月15日