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八戸市立市民病院救命救急センター④【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】

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第3章 救急こそ医療の原点

八戸市立市民病院救命救急センター④

翌日は午前9時すぎに病院に到着。

昨夜、私がホテルに戻ったあとに搬送されてきた73歳の男性は泥酔状態で転倒し、X線検査の結果、脊髄損傷と診断される。脊髄損傷を起こすと、最初に脊髄ショックがあり、それは24時間から48時間で離脱するが、離脱しても4肢などに完全麻痺があるときには、永続的な麻痺となり、ほとんど回復の見込みはなくなる。

泥酔して転んだときというのは、咄嵯に身体をかばうことができないので、打ちどころが悪ければ、頭部外傷、頸椎損傷、脊髄損傷ということになりかねない。

午前10時半。「いま、高気圧酸素療法を受けている外来の患者さんの治療が終わりそうなので見学しますか」と明秀に言われて従った。

高気圧酸素療法は、高圧の環境(通常は密封タンク内)で高濃度の酸素を吸収すると、血漿や組織の酸素濃度を著しく高めることができる。これによって、全身・局所の低酸素状態の改善(虚血性疾患など)、誤って吸収された有毒ガスの洗い出し、体内で発生した有毒ガスの排除(腸閉塞、空気塞栓症)ができる。2気圧(10メートルの潜水に相当する圧力)で約90分間、酸素を吸収する。代表的な治療内容としては、急性心筋梗塞、腸閉塞、1酸化炭素中毒などのガス中毒、突発性難聴、悪性腫瘍に対する放射線治療や抗がん剤治療との併用などがある。

ここでは、室内に1人用治療装置が1機あるが、高圧と聞くだけで、なにやらこわいが感じがするものである。ベテラン看護師が1人で対応している。

救命救急センターの急患室の看護師の半数以上が、明秀よりも年上である。川口の場合は、看護師は3次救急専門の若い人が多かったが、こちら八戸では他科病棟での勤務経験を重視し、1万人の軽症から重症患者を看護した後で救急室に配属される看護師が多いという。

治療が終了して、カプセルから出てきた患者は突発性難聴を患っている中年女性だった。患者自らが高圧酸素療法を望み、これが3回目の治療である。

突発性難聴は、文字どおり突然耳の聞こえが悪くなる疾患である。原因としては、過度のストレス(過労・睡眠不足・心労)により、内耳を流れる血管が細くなり、脳神経細胞への栄養が足りなくなったり、糖尿病や高血圧、心臓病も原因で、血栓が流れてきて、耳が聞こえなくなることもある。

「先生、だんだん、耳が聞こえるようになってきているのがわかります」

「突発性難聴は、ストレスでなることが多いです。私も初めて青森のへき地の診療所で勤務したときに耳が聞こえなくなりました」

明秀は自他ともに認める心身ともにタフな医師である。また、そうでなければ病院に2日も3日も泊まり込んで、次から次へと搬送されてくる数多くの重症患者に対応していた川口時代のような激務はこなせなかったであろう。しかし、図太い神経と頑健な身体の持ち主だが、実はストレスが原因で突発性難聴になり、いまも明秀の左耳は聞こえないままかのである。

自治医大を卒業後、青森県立中央病院で2年間の研修を終えた明秀は、1985年、卒業後3年目の特例として(通常は4年目)、青森県の東南部にある倉石村の診療所に派遣されることになった。そこは日本でも珍しい入院施設のある診療所で、患者にとっては幸運なことだが、医師1人に入院患者が12人というのは、医者にとっては365日、拘束されるのと同じなのである。

「研修3年目なので、たった1人では患者を診ることはできない」と主張して、最初はこの赴任を拒否した。しかし、自治医大の卒業生が少ないこともあり、仕方なく倉石村へ向かった。行けばなんとかなるだろうと腹を括った明秀だったが、大きな誤算だったのは、診療所の周りの環境だった。

次回に続きます…

プリベンタブルデスーある救急医の挑戦本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。

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公開日:2018年2月19日