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救急と災害医療―新潟中越地震、緊急救援ヘ③【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】

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第3章 救急こそ医療の原点

救急と災害医療―新潟中越地震、緊急救援 ヘ③

「何とか力になりたいが、指揮系統が違うのですぐには行動できない。地元の小千谷市消防が向こうにいるから、頼んでみましょう」

ほどなく、小千谷市消防から、川口町まで送ってくれると いう返事をもらった。時刻は午後2時を過ぎていた。赤い緊急自動車が迎えに来てくれた。「関俊」と胸に書かれたオレンジ色のつなぎ服を着たレスキュー隊員に見送られて、ヘリポートを後にした。消防は大男、救急隊は色白、レスキュー隊は日焼けした引き締まった体をしている。

途中は大渋滞であった。町の人は道路に立っていた。家には入らないのがルールらしい。建物の倒壊が危険なのだ。昨日も震度6の余震があったという。サイレンを鳴らしてセンターラインを直進した。細い道でもみんな譲ってくれた。全壊の家、崖から半分落ちている家、布団や食器が道に散らばつている家、「危険。立ち入り禁止」の張り紙がある家。どの家もまともではない。運転してくれたレスキュー隊員に「食堂はどこにありますか?」と尋ねると、「電気水道が止まっているので食堂はやっていません」という返事。とんちんかんなことを聞いてしまったと反省する。

道路は穴が開いたり、ひびがあったり、飛び出したりで悲惨であった。川口町に近づいてくると通行制限のため片側通行、消防車でよかったなと思った。

川口町役場へは約30分で着いた。炊き出しなど住民の救護隊が編成されていた。昨夜は町の住民全員が避難所か車の中、あるいは野宿だったそうで、人々の顔からはつやが消えていた。川口町役場の生活健康課の関久1さんが案内してくれた。被災してから水道が止まり、3日間は顔を洗っていない、手も洗っていないということであった。そのことを我々に詫びながらも、町の被災状況を説明してくれた。誠実な人だ。この人をここで頼ることにする。

末広荘は老人福祉センターである。いちばん大きな集落に役場があり、その近くに末広荘がある。地震が発生して避難所を指定したかったが、信濃川と魚野川をはさんだ集落が山沿いに点在し、平地が少なく、いわゆる集団で生活する避難所をつくることができないと関さんは言う。

末広荘に着くと、国立東京医療センターの菊野先生が出迎えてくれた。救急医学会でよく見る顔である。私が以前勤務していた川国市立医療センターで1緒に働いた金先生が現在は国立東京医療センターにいるはずである。金先生の上司が菊野先生だ。1緒に働いたことのある吉池先生の指導医も同じ菊野先生だ。

食事は自給自足である。確か自衛隊が食事を運んでくれているという情報であつた。1日分の食料を託してくれた吉田師長に感謝、非常食を持たせてくれた妻に感謝。食事はいらないなどと、事務の宮武さんにタンカを切ったことを反省する。

山の夜は早い。日誌を書いているこのパソコンは自家発電で動いている。まだ、この町には電気が通ってない。昨日の話では、電気は通っているよということだったが……。食料を買いに町に出かけた薬剤師の中居さんは、帰ってきてこう言った。

「明日は断食です」

これから始まる救護活動。5人の被災地での生活は、隊長の私の判断にかかっているのだった。

次回に続きます…

プリベンタブルデスーある救急医の挑戦本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。

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公開日:2018年3月19日