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救急と災害医療―新潟中越地震、緊急救援ヘ②【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】

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第3章 救急こそ医療の原点

救急と災害医療―新潟中越地震、緊急救援 ヘ②

28日朝の病院臨時管理会議で医療班出動地を川口町と決定。青森県と新潟県からの要請を受け、災害拠点病院として出動することになった。

午前1一時、看護師2人、薬剤師1人、事務員1人の編成チームがヘリコプターで震源地の川口町へ向かった。

明秀の救援日誌には懸命の医療救援の様子が克明に綴られている。

10月28日 (木)

◎ヘリコプターで出動

当直明けで、結局、朝食もとれず、排便もできずに出発の時間が訪れた。私たちの見送りには院長、事務局長、芝課長、次長、看護局長、さらに報道陣が4人いた。救命救急センター前で出発式を開いてもらつた。院長から、自分たちの体も大切にするようにとの訓示を頂戴する。私は頑丈だが、スタッフのことを考えなければならない。自分が少し疲れたときは、普通の人は限界に近いということなのだ。

病院の隣のヘリポートには海上自衛隊の、大型ヘリコプターが着陸していた。県の防災ヘリ「白神」も大きいが、救難ヘリはさらに大きい。機内に案内され、エックス型のシートベルトを締め、ヘッドホーンを耳に当てた。まもなく離陸すると、地上の友人たちの姿が小さくなった。妻の顔も見えた。

田沢湖を過ぎ、鳥海山を超え、新潟市上空にさしかかるころから、航空無線はあわただしく混線しはじめた、民間ヘリコプターが地震に関連してかなりの数が飛んでいるらしい。

日本はヘリコプター保有台数1000機以上を有し世界第3位である。小千谷市の臨時ヘリポートヘは2時間かからずに到着した。新幹線ならせいぜい仙台過ぎである。やはり空路は早い。すでにヘリポートには先客の東京消防庁のピューマが陣取っていた。こちらのヘリは大きすぎて縦列駐車は不可能なので、ピューマが離陸するまでの5分間で地震の被害を空から観察することができた。家屋の屋根は壊れ、多くの屋根にはブルーシートが張られていた。庭先や道路で呆然としている人たちの姿があった。

好天は、ヘリコプターの中の我々にとつても、新潟の住民にとっても幸いであった。ものすごい風を起こしながらヘリコプターは地面に着陸した。我々を出迎えたのは、予定していた新潟県庁の車ではなかった。これから東京に帰るという、東京消防庁のハイパーレスキュー隊の10名だった。話しかけてきたのは、8戸市近郊の種市町出身の中井隊員であった。昨夜のテレビで大活躍したチームであった。生き埋めになった母子3人の1人、男児が生きて救出され、国民に感動を与えた。同じ救急をやっている仲間が評価されるとうれしい。消防と救急医は運命共同体である。男児の父親は青森県出身者という。

新潟県庁の迎えの車はなかったが予想はしていた。県庁の指揮系統は混乱している。さらに道路は大渋滞であろう。今回の震災で約80の医療チームが県庁に登録しているという。市町村から県庁へ届く情報が少ない状態なので派遣する市町村を決められないでいるのだ。ヘリポート近くの広場は、消防の緊急自動車の待機場所に指定されていた。新潟県内だけでなく、千葉市や水戸市の車があった。埼玉県は現在、国体が行われているためか、見受けられなかった。川口町はここから遠くないはずだ。県庁の車は来る気配がないので、燕市の消防に声をかけた。

次回に続きます…

プリベンタブルデスーある救急医の挑戦本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。

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公開日:2018年3月15日