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救急と災害医療―新潟中越地震、緊急救援ヘ⑤【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】

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第3章 救急こそ医療の原点

救急と災害医療―新潟中越地震、緊急救援ヘ⑤

診療室は、体育館の片隅に、日隠しを置いて設営した。裏には階段があり、ジュラルミンケースを並べられる。日陰は寒いが、太陽が差し込む窓越しは日中は暖かい。いい場所を提供してもらつた。救援物資から石油ストーブを2つ借りた。コロナのストーブの安全装置は震度2の余震で作動した。昨夜の末広荘のストーブは、安全装置が働かなかった。この地震では、火事が少ない。北国のストーブはきちんと整備されているので、安全装置が働くからなのか。

ガスは天然ガスが多いのだそうだ。天然ガスの配管には、ホームカットという装置がついていて、地震でガスの配給が止まる。炊事の時間帯だったが火事は起きなかった。各家庭のガスメーターは配給停止を告げる黄色いランプが点滅状態である。阪神地域とは、人口密度だけではなく、このようなところも違いがあった。

事務の宮武さんは、保健所の本間さんに頼んで小出町へ出かけている。食料は自給自足だが、自己調達にでかけるにも車がないので、本間さんが毎日、保健所へ出向くついで車に乗せてもらい、買い出しすることになった。

「何かあったら携帯で呼び出してね」と言いおいて宮武さんが出発したが、誰も彼の電話番号を控えていないことに気がついた。病院の津取場さんへ電話して聞き出したが、通じない。おかしい。なにか起こったのか? あとでわかったのだが、携帯電話のバッテリー節約のために、電源を切っていたという。危機管理ができている。反省としては、定時交信を決めておけばよかった。

地元医師会長から電話が入った。国立東京医療センター救命救急センターの菊野先生が我々に車がなくて不自由していることを伝えてくれ、車の無償提供の話があった。ありがたく頂戴することにした。3000cc新車。

診療は日暮れの5時までの予定であったが、体育館の避難住民に用意されているコシヒカリ、ボンカレー、豚汁という食事を避難所リーダーの岡村さんから「ぜひ食べていってください」という暖かい言葉をいただき、丁寧にお礼を言って、みんなで食べた。お礼は言葉だけではなく行動でということで、診療時間を延長した。

「仕事帰り、片付け作業帰りの方にお知らせします。6時過ぎまで診察します。どうぞご利用ください」

驚いたことに、ぞろぞろと患者さんが来た。熱傷の人も混じっている。ミーティングは午後6時半からだが、間に合わない。中居薬剤師と看護師2人に後を託し、新車で会議場所の末広荘へ向かった。すっかり日は暮れていたが、田舎にしても光は少ない。電気がまだ来ていないのだ。緊急復旧作業で、朝についていなかった信号機が点減していた。道路わきには朝より多い車が止まっていた。寒さを避けるために車の中で寝るのだろう。テレビがつかないため、下肢静脈血栓、肺塞栓、エコノミー症候群のことはまだ住民には伝わっていない。運転する新車には緊急自動車登録がされていた。医師会長のすばやい対応である。町のいたるところでチェックされる検間はフリーだ。

次回に続きます…

プリベンタブルデスーある救急医の挑戦本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。

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公開日:2018年3月26日