対談◇國松孝次・今明秀 ②(最終回)【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
対談◇國松孝次・今明秀 ②
日常的にヘリコプターの活用を
今 災害時におけるヘリコプターの活用は重要ですが、まず、国松さんが警察庁長官のときに起きた阪神淡路大震災において、ご苦労されたこととはどんなことですか?
國松 あのときは現地にも行きましたし、警察にできることを一生懸命にやりました。しかし、警察官を動員したつもりだけれど、あれだけの大災害に対応できる装備も10分ではなくて、いろいろたいへんでした。警察庁に集まってきた情報についても、国土庁防災局でやっているだろうと内閣官邸に届けようという配慮はほとんどありませんでした。情報収集の流れはわれわれのところで止まっていたような状態でした。だから、村山総理がのんきな顔をしているとマスコミにたたかれていましたが、私は総理にイン
フォームをしなかったことを本当に申し訳ないと思いましたね。
今 大混乱で情報も錯綜し、災害医療対応のほうも後手に回って、多くの教訓を残しました。
國松 正直いって、阪神淡路大震災における救急活動がどういうものであったのかという視点は警察官現職時代の私にはありませんでした。発災当日、救急ヘリが飛んだのは
1回だけということも、最近、HEM‐Netの活動をするようになってから知りました。
今 2004年の新潟中越地震、そして2005年の福岡西方沖地震のときにはヘリコプターが活躍する場面がありました。
國松 災害救急医療のときにヘリコプターをどう使うのか、国民の意識の中にも明確な形として表れてきたのではないかと思います。阪神淡路大震災のときに比べると、ある意味では格段の進歩です。阪神淡路大震災のときの教訓が生きたといってもよいと思います。災害が起きたときにヘリコプターを活用したらいいのではないかというこも阪神淡路大震災をきっかけにして話が進んでいき、その中からドクターヘリの構想が出てきました。だから、中越地震のときにはベターな状況になってきました。ただ、HEM‐Netで中越地震の際の対応について事例検討会を開いたところ、ベターにはなったけれど、まだまだ手を打つべきことがたくさんあり、多くの課題が残っていると思います。
今 ドクターヘリ導入の促進の最大の妨げは費用負担の問題でしょうね。救急専用のヘリが、公共のヘリコプターなら分かりやすい説明ですが、いま行われているドクターヘリが、民間のドクターヘリを使用しています。その辺の矛盾をどうとらえますか。
國松 私は矛盾とは思いませんね。日本は、国が半分、都道府県が半分出して、すべて公費でヘリ運航費用をまかなっていますが、この仕組みだと特に都道府県が金がないといって、それがネツクになって配備が進まない。フランスなどは全部国費でやっている。要は人の命を救うために使う金の価値をどう考えるかの問題です。ただアメリカ、スイス、ドイツなどのように、医療保険でまかなう仕組みが出来Lがれば、負担が分散され、都道府県の負担も軽減されます。救急ヘリのシステムは都道府県毎に検討していくのがいちばんいいのですが、各県が検討始めたら、公的な消防、防災ヘリ、あるいは自衛隊ヘリを使ってやっていくシステムができる県というのは大きな県に限られてきます。だから、小さな県は現在のドクターヘリのように民間のヘリを使って救急ヘリを飛ばしていくしかない。その場合、県に金がないというのなら保険適用を考えるしかないのではないかと思います。発想を転換して、保険請求の代償として考えていけば、費用負担の問題は少なくても一部は解決するのではないか。志のある病院は名乗りを上げると思います。
今
今後どのように進展させていくのでしょうか。
國松
実際、日本には約800機の民間ヘリコプターがあり、保有数では世界の5本の指に入るのです。ところが、救急専用機として使用されているのはわずか10機です。9つの道県だけです.一方、全国に69機ある消防防災ヘリを活用した救急も統計を見れば、^機当たり年間36回程度飛んでいるだけで、とても卜分とはいえません。全体的な救急医療体制としては非常に遅れています。どこの国も立派な体制ができているのに、日本だけができていない。これは怠慢、なんとかしないといけませんね。厚生労働省は、1生懸命やっているのですが、結果がでなければだめです。具体的につくっていかなければならない。工夫が足らない。大災害のときにヘリコプターを飛ばそうといっても、日常において飛んでいないので飛べるわけがない。日常におけるヘリコプター救急の仕組みをつくらなければいけません。1機当たり日に3回、年間1000回は少なくとも飛ばなくては陛界水準の救急ヘリ活動とはいえないのです。
1937年6月静岡県生まれ。東京大学法学部卒。
1961年4月警1察庁人庁後、兵庫県捜杢第2課長、警視庁本富士警察署長、在フランスロ本国大使館一等書記官、内閣官房長官秘書官、大分・兵庫各県警本部長、警察庁刑事局長などを経て、1994年7月弘言察庁長官就任。
1997年2月退官。1998年1月自動車安全運転センター理事長。
1999年9月から駐スイスロ本国大使を勤め、2002年11月帰国。
現在はNPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク」理事長、財団法人「犯罪被告救援基金」常務理事、損保ジャパン顧間(非常勤)、日興コーディアルグループ特別顧間(非常勤)、丸紅社外取締役などを勤める。著書に『スイス探訪』(角川書店)がある。
【著者紹介】
龍田恵子 (たつた・けいこ)
ノンフイクションライター。北海道生まれ。著者は 「日本のバラバラ殺人」(新潮 OH!文庫=「バラバラ殺人の系譜」青弓社、改題)。
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本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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