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静岡医療センター/ハワイ国際教育病院 大屋 聖郎

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静岡医療センター
大屋 聖郎
卒後
0年

福岡大学医学部医学科

バスケットボール部の活動を中心に楽しい学生生活を送りました。

卒後
1年

福岡大学病院 初期研修医

卒業当初は、プライマリ・ケアを修練した後に、脳外科か循環器科に進むことを考えていました。しかし、プライマリ・ケアの奥の深さを感じ、急性期医療のスペシャリストになるべく救急医(ER医)への道を志すこととしました。

卒後
3年

済生会福岡総合病院 救命救急センター 後期研修医

1次から3次救急まで受け入れる救命センターでの修練、指導医に恵まれ、Emergency Room Thoracotomyなどの外科的手技も身に着けました。

また当初は学会活動や留学などに全く興味はなく、一人前の臨床家になることだけを考えていましたが、自施設や国内の環境だけでは乗り越えられない壁に遭遇し、学術分野や海外に視野を広げるようになりました。

卒後
6年

洛和会音羽病院 救命救急センター 医員
救急科専門医取得

臨床留学の機会を求めて京都へ異動。総合診療科に招待された米国教授陣とディスカッションの機会を多数頂きました。また断らない救急を実践しました。

卒後
8年

横浜労災病院 救命救急センター 医長

米国オレゴン州のポートランドにあるOregon Heath & Science University(OHSU), Emergency Departmentで、Visiting Physicianとして3カ月間、臨床での教育や救急体制について見学、お世話になった方々に今でも感謝しています。

その後ER型の救命救急センターの勤務を選択し横浜へ、臨床と教育に力を注ぎました。

卒後
11年

横浜労災病院 救命救急センター 副部長

第1子
誕生

いくつかの国際学会での発表を経験した後、ICEMでの発表を経験(香港開催)、またこの頃より焦点を絞った超音波の活用(POCUS)の活動を始めました。

さらにプライベートでは、子供と過ごせる素敵な日々が始まりました。

卒後
12年

集中治療専門医取得

臨床で遭遇するクリニカルクエッションを解決するために、独学で続けてきたリサーチ活動、日本救急医学会から最優秀科学論文賞の評価を頂けたことは、大きな自信となりました。

また、この年に集中治療専門医を取得しました。

卒後
14年

横浜労災病院 総合診療部 副部長兼務
救急科指導医取得
日本大学医学部社会人大学院入学

幅広くプライマリ・ケアの教育と管理に携わることに。

また、ERを専門とする学会指導医として救急医学の発展に貢献することを決意し、さらに、リサーチの勉強のため40歳を過ぎて大学院へ。

卒後
16年

静岡医療センター/ハワイ国際教育病院 救急科 部長

ハワイ大学と提携した新体制の国際教育病院でのER部門の立ち上げ、これまで一人前のER医になる修練を積み、またそのような若手育成に努めてきましたが、これからは米国を中心に広く海外と交流する体制の中で、国際的医療人として活躍できる医師の養成を通じて、本邦の救急医療の発展に尽力します。

国際基準のER診療を身に着けることに苦しんだ自身の経験を、若手の方々が遭遇することのない環境を目指します。また引き続きPOCUSなどの比較的新しい分野の活動も進めていきます。

未来へ

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内容のアップデートもお待ちしています!

先生がどういった経緯を経て救急医という職業を選ばれたのかを
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公開日:2019年5月27日