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済生会宇都宮病院 救急・集中治療科 栃木県救命救急センター 小倉 崇以

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卒後
0年

東京慈恵会医科大学 医学部医学科

大学時代は水泳部に所属し、練習に没頭しておりました。あまり胸を張れたことではないですが、朝6時から泳ぎ始め、9時に登校、16時に下校して18時からまた泳ぐ…。医学生とは思えないほどのスポーツマン生活を6年間継続し、体脂肪6.8%の身体を維持し続け、学生生活をやりとげました。東日本医科学生体育大会では好成績を残すことができ、学生時代の青春は、今でも忘れられない一生の思い出です。

卒後
1年

済生会宇都宮病院 初期臨床研修医

部活引退後に必死で勉強を重ね、なんとか医師国家試験に合格し、晴れて済生会宇都宮病院の初期臨床研修医として働き始めました。厳しくも楽しく、充実した研修医生活を送りました。1年目に救急科を3ヶ月間ローテートし、そこで学んだ蘇生と診断と生命維持、全身管理に魅せられ、救急医を志しました。1年目の10月に妊婦の母体搬送を受け入れた際、産後弛緩出血からのNear CPAで搬送となった患者さんの蘇生を産科医と共に担当し、劇的救命を体験しました。救命後のICU管理にも感銘を受け、ICU系の救急医となることを、この時点で決心したことを鮮明に覚えています。

卒後
3年

前橋赤十字病院 高度救命救急センター 集中治療科・救急科 後期臨床研修医

ICU専門医と救急科専門医の双方を取得できる、前橋赤十字病院での後期臨床研修を選択。心臓血管手術の術後管理からICUの基礎を勉強し、人工呼吸管理、人工透析管理、人工心肺管理など、多くのスキルを磨きました。同時並行でERおよびドクターヘリの勉強もし、外傷蘇生等の外科手技のトレーニングも重ね、卒後5年目には正規フライトドクターとして、デビューしました。

また前橋赤十字病院に後期臨床研修医として赴任した当初より、臨床研究の手ほどきを受け、外傷蘇生の臨床研究を開始しました。卒後4年目にはその研究の成果が実り、American Heart Association Resuscitation Science Symposium, Los Angels, USA, 2012 (AHA ReSS 2012)にて若手研究者賞を受賞しました。

卒後
6年

救急科専門医取得
前橋赤十字病院 高度救命救急センター 集中治療科・救急科 医員

後期研修医を終えて同科の医員に。この年に救急科専門医を取得しました。

卒後
7年

集中治療専門医取得

間髪入れずに救急科専門医を取得した翌年に集中治療専門医を取得。集中治療専門医の取得には論文が必要となりますが、後期研修医の頃から臨床研究に従事していたため、論文等の学術活動の実績報告に苦労することはありませんでした。

卒後
7年

Cambridge University Health Partner, Papworth Hospital 留学 ECMO研修

ICUにおける生命維持の花形とも言える、体外式幕型人工肺(Extra-Corporeal Membrane Oxygenation; ECMO)の勉強をしたいと思い、病院の協力を得てCambridge University Health Partner, Papworth Hospitalへ留学。晴れて英国留学を果たしました。

卒後
8年

日本呼吸療法医学会 呼吸療法専門医 取得

結婚

第一子
誕生

卒後8年目に留学から帰国。ECMO(体外式膜型人工肺)の専門家として働いてゆくために呼吸療法専門医を取得しました。また、今までの外傷における研究成果に評価をいただき、日本外傷学会の多施設臨床研究委員会の委員に選出されました。日本の外傷診療向上のため、自分の研究だけでなく、日本国内で行われている外傷分野の研究成長の後押しを担う委員会の委員として活動を始めました。また、プライベートでは結婚、第一子生誕にも恵まれ、“夫”や“父親”という新たな自分と出会いながら、自己研鑽に励みました。

卒後
9年

日本外傷学会外傷専門医、日本熱傷学会熱傷専門医 取得

卒後9年目はめまぐるしく仕事が入ってくる年となりました。所属科の副部長に就任し、学業では博士号を取得。自治医科大学救急医学講座の非常勤講師を拝命し、日本外傷学会では評議員を拝命。学会の委員会活動も増え、日本救急医学会救急医学会雑誌編集委員会および日本熱傷学会災害ネットワーク検討委員会の委員として活動を開始しました。その裏ではしっかりと試験を受け、日本外傷学会外傷専門医取得、日本熱傷学会熱傷専門医取得を取得しました。先に述べたアメリカのAHA学会での受賞も6年連続を記録し、後世の研究者育成にも力を入れるようになりました。

卒後
10年

World Health Organization (WHO) Emergency Medical Team (EMT) Guideline for Burn Mass Casualty Incident作成プロジェクト委員会

第二子
誕生

医師としての区切りの年。第二子にも恵まれ、家庭にも仕事にも、毎日フルパワーで挑む毎日です。そんな中、思いもよらぬ仕事がふってきました。WHO(世界保健機関)の仕事です。それは、World Health Organization (WHO) Emergency Medical Team (EMT) Guideline for Burn Mass Casualty Incident作成プロジェクト委員会の仕事でした。昨年から活動しはじめた日本熱傷学会災害ネットワーク検討委員会からの選出で、培った国際経験と、何よりも、“若手”というナニモノにも代えがたい“勢い”を武器に、「救急医にはこんな仕事もあるんだな」と驚きながら、世界へ再び飛び出します。研究面では、課題であった後世の育成も継続し、この年は、アメリカのAHA学会および日本熱傷学会にて、後輩の受賞をプロデュースしてあげることができました。

これ
から

これからのプラン

今後の自分を想像してみると、「可能性は無限大」という言葉が適切なのだと思います。

7年目の頃に想像していた自分の将来像は、「救急科専門医、集中治療専門医、ECMO Consultant、Clinical Researcher」として、今後の活動を一般市中病院にて患者さんのために尽力するものと考えておりました。

しかしなら、外傷専門医や熱傷専門医などの比較的マイナーな専門医を取得し、WHO等の全世界的な仕事を請け負ってみると、シリアの内戦の状況や発展途上国における事故事件の多大たるやを知り、救急医のニーズは日本だけにとどまらないことに気づかされます。

卒後11年目以降は市中病院の救急&ICU部門の部門長を拝命することになりましたが、家族との関わりを大事にしつつ、自分の経験を生かしながら国内外の活動の全てに、全力で挑んで行く卒後11年目以降を過ごしてゆこうと思っています。

未来へ

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内容のアップデートもお待ちしています!

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さらに、男女問わず結婚や出産、育児という家庭人としての経験と仕事を
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公開日:2018年7月30日