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加納総合病院救急科 荻田 誠司

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卒後
0年

岡山大学医学部

準硬式野球部に所属し野球漬けの6年間でした。学生実習で行った福山市民病院救命救急センターをみて救急科に興味を持ちました。

卒後
1年

福山市民病院 初期研修医

救急科を含め幅広い研修ができました。脳疾患については救急科との親和性も高く、まずは脳神経外科の専門医を取ることにしました。

卒後
3年

関西圏の脳神経外科病院で研修

福山市民病院での研修後、今の妻との将来のことも考え、妻の地元の関西で脳外科研修を開始しました。

卒後
5年

結婚

結婚

学生時代から交際していた内科医の妻と卒後5年目に結婚しました。
現在3人の娘(6歳3歳0歳)の父です。

卒後
7年

脳神経外科専門医取得 / 大阪府三島救命救急センター

脳神経外科専門医を取得しました。専門医集団として有名な大阪府三島救命救急センターで、脳外科としてのスキルを磨きつつ、救急医としての研修も開始しました。3次のみだったので毎日が刺激的でした。

卒後
10年

兵庫県立西宮病院救急科 / 救急科専門医取得

2次救急の勉強もしたいと思い、自宅近くの兵庫県立西宮病院救急科で2年間2次も含めての救急を学びました。救急科専門医も取得しました。

卒後
12年

吉田病院脳神経外科/脳血栓回収療法実施医

カテーテル治療、特に血栓回収療法については今後、需要が高まることが予想されたため、脳外科単科病院で研修を行いました。脳血栓回収療法実施医の資格を取得しました。

卒後
14年

加納総合病院救急科

家族の経営する加納総合病院に救急科を立ち上げました。高齢化とともに守備範囲の広い、様々な専門性を持ったメンバーの集まった救急科を作るのが目標です。

未来へ

先生の「キャリアプラン」をお寄せください
内容のアップデートもお待ちしています!

先生がどういった経緯を経て救急医という職業を選ばれたのかを
熱いメッセージとともに寄せていただければと思います。
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さらに、男女問わず結婚や出産、育児という家庭人としての経験と仕事を
どのようにバランスよくこなしてきたのかなどの体験談も併記いただける方は
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