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国立国際医療研究センター病院 
小林憲太郎

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小林憲太郎
卒後
0年

徳島大学医学部医学科

医学部ラグビー部に所属し、ラグビーばかりしていました。5年次に副キャプテン。6年次は西日本医科学生体育大会と本邦初の研修病院マッチングが重なり、控えメンバーとして参加しました。
本格的な勉強は9月から。同級の仲間と学校に入り浸りで、かなり頑張りました。
自分に合っている科を、学生実習を通して考えていました。初めは外科に行きたいな、と考えていましたが一か所に数時間じっとしている(長時間の手術)のはあまり性に合わない気がしていました。
院外実習でお世話になった徳島県立中央病院救命救急センターで救急医療と出会い、毎日が刺激的で「これだ!」と思えました。この時とてもお世話になった上山先生、三村先生、安田先生、井内先生には感謝の念がつきません。

卒後
1年

国立国際医療(研究)センター病院 初期臨床研修医

徳島で経験した救急医療と自分のイメージしていた救急医療にいちばん近い形の救急医療を行っていて、救急科プログラムのあった国際医療センターで初期臨床研修。「救急医」となる事を強く意識したプログラムでとても満足度が高い研修を行うことができました。特に脳神経外科の3ヶ月研修は今でも救急診療を行う上で大きな財産になっています。
ICLSなどの医学シミュレーションにも積極的に参加でき、医学教育にも興味を持つきっかけになりました。
現在でもボスですが、この時はじめて木村昭夫先生に出会いました。診療への姿勢、教育への情熱、研究への心得など救急医としての全てを教えてくれています。

卒後
3年

国立国際医療研究センター病院 救急科レジデント

初期臨床研修でもやはり救急医療の魅力は衰えず、そのまま救急科専門医を目指すべくレジデントとなりました。朝の外来、病棟カンファレンスはどちらも非常に厳しいものでしたが、ここでの緊張感が更なる自分の知識・技能向上へのエネルギーになっていました。

卒後
4年

結婚
父他界

卒後4年目に16年付き合ってきた女性と結婚。女性は1学年上の外科医。高校時代からのお付き合いでした。同年に父の食道癌が判明し、後先考えずに子供を作りました。結局父は孫の顔を見ることなく半年で他界しました。

卒後
5年

第一子
生誕

女の子でした。生後9か月から保育園へ預けました。当時僕も妻もレジデントで非常勤職員でしたので保育園入園は厳しいものでしたが、妻が区長宛てに陳状メールを送り(これが理由かどうかはわかりませんが)、無事入園できました。
送り迎えは外科医の妻よりも完全2交代勤務で時間的に融通の利く僕が行うことが多かったかもしれません。

卒後
6年

国立国際医療研究センター病院 救急科医員

たまたまスタッフが退職したこともあり、正職員に昇進できました。初期臨床研修医のころから継続していたくも膜下出血予測スコアの研究を日本救急医学会誌に発表し、最優秀科学論文賞を頂くことができました。
論文作成まで多くの学会で発表し、いろんなご意見を頂き修正した結果として論文として形を成すものとなった実感があります。救急科専門医試験にもめでたく合格。

卒後
7年

子供が
長期入院

1歳の子供がネフローゼ症候群になり8か月の長期入院となりました。妻と共に毎晩交替で病院に付き添って泊まっていました。

卒後
10年

第二子
生誕

父に続き母もこの間に逝去。激動の数年間でした。長女の病気も落ち着いたところで2人目の子供を計画。めでたくすぐにできました。第二子も女の子。
長女はしばらくの療養期間を経ており、免疫抑制剤も少量内服していたので、感染症の多い保育園に通わせる勇気がなく、幼稚園に通園を開始。
次女は生後4か月で保育園へ。妻の両親に送り迎え等かなりお世話になるようになりました。現在はほぼ同居で僕はマスオさん状態です。

卒後
11年

中毒との出会い

救急医としてのサブスペシャリティーを長期間手探りしていたところ、危険ドラッグの大流行にてたくさんのドラッグ中毒患者が当院へ搬送されるうち、中毒診療の面白さに気付きました。
薬剤によって多彩な症状を呈し、適切な処置・管理で改善していく様子が純粋に面白かったし、社会問題と密接につながっている救急医療の醍醐味を再認識することができました。
危険ドラッグのデータを収集し様々な学会にて発表することもでき、新たな薬物定性検査キットを用いた臨床研究も自分で計画して実行する機会も得ました。
クリニカルトキシコロジストも取得することができ、様々な先輩医師のおかげで中毒学会評議員にもなる事ができました。まさか中毒にこんなにどっぷり漬かることになるとは、想像もしていませんでした。
ひょんなきっかけ、出会いがこういった新たな展開を起こす事を実感しました。
これからは臨床中毒学という新たな柱をもって救急医療に貢献していきたいと考えています。

未来へ

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公開日:2016年4月24日