single.php

札幌医科大学救急医学講座 S.U

Home » キャリアプラン » 札幌医科大学救急医学講座 S.U
卒後
0年

札幌医科大学

学生時代は外科か整形外科かと漠然と考えていましたが、最後の最後に救急に直接入れることを知り、救急医はまだまだ未開拓の分野だったので新しいことがやれそうと思い大学の救急医学講座に入局しました。

卒後
1年

教室人事で各病院の救命救急センターで勤務

最初の6年間で半分を大学、半分を大学外の救命救急センターで勤務、関東の病院(国立災害医療センター)への国内留学(1年間)や道内の新規救命救急センター立ち上げも経験しました。(当時は、まだ新医師臨床研修制度はなく、医師1年目から専門診療科を選択することができました)

卒後
7年

大学院と海外留学

大学で4年間、基礎研究をし医学博士を取得後、米国のマサチューセッツ大学救急部に2年間リサーチフェローとして留学しました。

卒後
15年

教室運営

帰国後、関連病院で1年間勤務、大学に戻ってきて1年勤務、15年目から8年間救急医学講座の教室長として、大学内外の調整や教室のマネージメントにかかわりました。救急の分野は対外的な活動も多く、MC、災害などの公的な仕事を行政や医師会などと連携して行いました。その間、胆振東部地震DMAT活動、大阪サミット医療班、新型コロナウィルス感染症保健所支援、東京オリンピックマラソン救護統括など大きなイベントにも関わりました。

卒後
21年

病院管理

20年目に北海道大学の病院経営アドミニストレーター育成プログラム(HUHMA)を1年間履修、そこからはもっと広い視野で病院管理や医療行政に関わりたいと思い、医療経営士を取得し、24年目からは病院経営戦略室の副室長、25年目には病院管理学兼務となり、病院内の課題解決に奮闘中です。

卒後
25年

これからのプラン

救急医の仕事には病気を治すだけでなく、個々の患者さんが持つ課題を理解し解決する能力が必要でした。その課題解決能力の活用は年次を追うごとに視野が広くなり、最初は目の前の臨床→研究→マネージメント→病院管理→医療政策と役割も変わってきました。今後は2040年問題に向けて救急医療の持続可能性を維持するために自分の立場で何ができるかを考えながら社会に貢献していければと考えています。

未来へ

先生の「キャリアプラン」をお寄せください
内容のアップデートもお待ちしています!

先生がどういった経緯を経て救急医という職業を選ばれたのかを
熱いメッセージとともに寄せていただければと思います。
こちらの「キャリアプラン」アンケートフォームよりご投稿ください。

さらに、男女問わず結婚や出産、育児という家庭人としての経験と仕事を
どのようにバランスよくこなしてきたのかなどの体験談も併記いただける方は
こちらの「キャリアプラン+ライフイベント」アンケートフォームよりご投稿ください。

また、内容の修正などをご希望の際はこちらのお問い合わせフォームよりご連絡ください。

先生方の熱き想い、お待ちしております!

公開日:2024年4月15日