植物状態から甦って「コンセンセイ コンニチハ」②【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第2章 救命、そして再生への道
植物状態から甦って「コンセンセイ コンニチハ」②
一九九八年十二月一日午前十時すぎ、高校二年生だった石川卓くんは、コンビニに行ってくるとバイクを走らせた。少しスピードを出していた。信号が青から黄色に変わろうとする瞬間、卓くんは「あ、どうしよう」と迷った。そのとき前の車が走り出したので止まろうとしたけれども、「行っちゃおう」とそのまま走行して、バイクはトラックの側面に追突した。
一瞬のことであった。信号が変わるのを見て迷いが生じたこと。ヘルメットはハーフサイズで、バイクは友達から安く買ったもので整備不良だったことなど、いろいろと悔やまれる事故だつた。
父親の徹さんが当時を振り返る。
「ふだんから無茶をするような子ではなかったし、男の子だからバイクぐらい乗ってもいいんじゃないかと思っていたのですが、事故のあと、おまわりさんに、なぐってでも息子さんからバイクのキーを取りあげられませんでしたか?と言われて胸にズシンときました」
午前十一時九分、卓くんは昏睡状態のまま救命救急センターに搬送されてきた。明秀をはじめ、三人の救急医が診療にあたった。図のように脳ヘルニアを起こしており瞳孔は光に対して
反応がなく、痛み刺激にも反応がなかった。脳の浮腫で脳が嵌頓することを脳ヘルニアという。命が助かっても脳障害になる危険性は十分にある。さらに、右下腿開放骨折、右尺骨骨折、左前腕コンパートメント症候群などの症状があった。コンパートメント症候群とは、肛や腕などが筋打撲や骨折で腫れが生じたときなどで圧力の逃げ場がなくなり、内圧が高まって患部がパンパンに張り、筋肉が虚血状態に陥って機能障害を起こすことである。放置すると、筋肉が壊死して、切断しなければならない。
手術までの治療としては、気管挿管をして止まりそうな呼吸を補助して脳と全身に酸素を入れ、出血による血圧低下を点滴で上げ、さらに出血個所が骨折だけによるものかを確認するために胸部と骨盤のX線撮影と超音波検査をする。内臓からの出血は見られず、骨折が原因の出血であることがわかると、骨折部を板で固定し包帯で圧迫する。それから脳のCT検査へ。脳挫傷と脳の表面に出血がたまる急性硬膜下血腫が発見され、緊急手術が必要と判断。このときは、救急の脳外科医がいたので対応が早く、スムーズに手術までもっていけた。
開頭血腫除去、外減圧、硬膜形成手術。ここで命の決着がついたら、すぐに右下腿開放骨折、右尺骨骨折の手術にかかる。特に開放骨折の場合は、骨が皮膚の外に飛び出すほど力が加わっているため、骨だけでなく筋肉や皮膚など骨の周辺が傷んでいるため大量の生理食塩水で洗浄したり、切除したり、縫ったり、逆に皮膚を開いたままにするなど、最初の治療を丁寧にしないと、骨髄炎などを引き起こす場合もあるからだ。
そして、多くの頭部外傷の患者が幸運にも脳のほうが回復したときに、何について悩むかといえば、後遺症がひどくて歩けなくなることなのだという。だから、重症な頭部外傷でも、そちらが決着つき次第、骨折の治療を念入りに行う。卓くんは大手術によって一命をとりとめたが、意識は戻らないまま翌年四月二十一日に厚生会埼玉厚生病院、さらに十一月十一日には蓮田市にある国立療養所東埼玉病院へ転院となった。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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