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大阪公立大学医学部付属病院 救命救急センター 
日村 帆志

卒後
0年

大阪市立大学医学部医学科

医学部準硬式野球部に所属し、6年間チームメイトともにグラウンドで汗を流しました。この頃は特に希望の診療科などはありませんでした。

卒後
1年

若草第一病院 初期研修医1年目
(大阪市立大学医学部附属病院初期研修たすき掛け)

ERの件数が多い病院として選ばせてもらいました。ローテートしたどの診療科も魅力的でしたが、研修医としてある程度戦力になることができたERの当直勤務などが楽しく、救急診療に興味を持つようになりました。

卒後
2年

大阪市立大学医学部附属病院 初期研修医2年目

救急診療に興味はありましたが、何かスキルを持ってから救急に携わるのが良いと周囲から言われ、当初は脳神経外科へ進むことを検討していました。しかし、やはり2年目になってローテートした診療科が楽しく、3年目の診療科が決められなくなり、一番つぶしが効きそうな(笑)救急科に進むことにしました。

卒後
3年

大阪市立大学医学部附属病院 救命救急センター

母校の救命センターがどのような環境か当時はよくわからず飛び込みましたが、三次救急医療施設として重篤な救急患者の診療を経験することができました。その中で外傷診療に興味を持つようになり、外科のトレーニングを受けたいと思うようになりました。

卒後
4年

堺市立総合医療センター 外科 医員

私は新専門医制度ではなかったので、プログラムを中断したという形ではないですが、1年間救急に専従した後に上司の紹介で堺市立総合医療センターに外科の一員として勤務することになりました。そこで3年間研鑽を積み、救急科にいたときは違う医療を経験することができ、医師としての成長を感じました。同時に救急に戻った時にどのようにそのスキルを活かせるかを常に考えながらトレーニングを積むことができました。

卒後
7年

大阪市立大学(大阪公立大学)医学部附属病院 救命救急センター ~現在卒後9年目に至る

救急医としてまた救急診療に携わることになり、改めて救急診療の面白さややりがいを感じるようになりました。卒後8年目に救急科専門医を取得し、コロナ禍で1年遅くなりましたが、今年度に外科専門医を所得予定です。

これからのプランとしては、キャリアとしては集中治療専門医や外傷専門医、ACS認定外科医などの取得を目指しながら、研修医や学生を含めた後進の育成に貢献できたらと考えています。

未来へ

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