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広島大学大学院 救急集中治療医学
大下 慎一郎

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卒後
0年

広島大学医学部医学科 【広島県】

柔道部とワンダーフォーゲル・サークルに所属し、筋肉トレーニングに明け暮れるかたわら、キャンプ・スキー・カヌーなども楽しんでいた学生時代でした。病態を追及する思考回路を養うため、内科の修練を行うことにしました。

卒後
1年

広島大学病院 初期研修医 【広島県】

内科ローテーションを選択し、呼吸器・循環器・消化器・神経・内分泌・腎臓・血液など、多彩な領域の内科研修を積みました。この研修期間中、救急科で3ヶ月間の研修も選択し、社会における救急科の重要性・全身管理の魅力を学びました。

卒後
3年

市中病院 呼吸器内科医 【広島県】

呼吸器内科を専門に選択し、結核を含む多彩な感染症や急性・慢性呼吸不全の治療を学びました。気管支鏡のほか、上部・下部消化管内視鏡、心臓・肝臓カテーテル治療など、幅広い検査手技を習得するともに、気管挿管・人工呼吸管理法についても学びました。

卒後
5年

広島大学大学院分子内学進学 【広島県】
総合内科専門医・呼吸器内視鏡専門医 取得

基本的な臨床能力を体得していくに従い、現代の医学では治療できない疾患がたくさんあることを感じるようになりました。難治性疾患の病態解明に関する研究に携わることが、自分で新たな治療法を開拓するためには重要と考え、大学院へ進学しました。

卒後
9年

ドイツ エッセン大学医学部・西部ドイツ呼吸器センター ルールランド病院留学 【ドイツ】

医学博士取得後、さらに自分の視野・知識をグローバルに広げたいと思い、ドイツへ留学しました。間質性肺炎の研究において世界トップレベルの教授のもとで学ぶことにより、医学のみならず外国の習慣・思想・経済など様々なことを経験することができました。言葉の壁は大きかったですが、おかげでドイツ語を話せるようになりました。

卒後
12年

広島大学病院 高度救命救急センター・集中治療部 助教 【広島県】
救急科専門医・集中治療専門医・呼吸器専門医・呼吸療法専門医 取得

帰国後、高度救命救急センター・集中治療部に勤務する機会を得ました。これまでのキャリアとはまったく領域の異なる勤務地でしたが、その分、新たに学ぶこともたくさんあり、毎日が刺激に満ちた日々でした。研修医・大学院生時代から修練してきた一見バラバラに見える知識・技術・研究手法が、すべて一本の糸で繋がるのを感じました。

卒後
17年

広島大学病院 高度救命救急センター・集中治療部 講師 【広島県】

呼吸器内科で行ってきた間質性肺炎急性増悪に関する研究と、高度救命救急センター・集中治療部で培った体外式膜型人工肺(ECMO)という技術を融合させ、極めて死亡率の高い間質性肺炎急性増悪をECMOを用いて治療することに取り組み始めました。これまで救命できなかった間質性肺炎急性増悪の患者さんを徐々に救命できるようになり、喜びを感じました。

ドクターヘリのフライトドクターも始めました。設備とマンパワーの整った病院内とは異なり、劣悪な環境の中で限られた資機材を用いて、一人で迅速・的確に診断・治療を行うことの難しさや醍醐味を学びました。

また、急性呼吸窮迫症候群(ARDS)ガイドライン・AHA/ILCOR心肺蘇生ガイドラインの作成委員や、ECMOプロジェクト委員長など,学術的な仕事もさせて頂けるようになりました。

卒後
20年

広島大学大学院 救急集中治療医学 准教授 【広島県】
広島大学病院 高度救命救急センター・集中治療部 副診療科長

行政との仕事や,国際的な仕事にも多く携わらせて頂けるようになりました。

平成30年7月豪雨(西日本豪雨)では,DMAT・災害医療コーディネーターとして,広島県医療調整本部の本部長を担当しました。
いくつかの国際学会・学術誌のEditorial Boardも担当するようになりました。

卒後
22年

英国 ロンドン大学・St. Thomas病院,ケンブリッジ大学・Royal Papworth病院 研修 【イギリス】

ECMOの第一線を突き進んでいる海外の名門施設で,ECMOに関する研修をしました。ECMOの医学的技術のみならず,集約化を行うための社会構築に関する知識も学びました。

ちょうど帰国が近づいてきた頃,コロナウイルス肺炎でECMOを使用する患者さんがちらほら現れました。当時は漠然と「海外には珍しい病気があるんだな」と思っていましたが,まさかそれが長い長いCOVID-19パンデミックの幕開けだとは夢にも思っていませんでした。帰国後は,日本ECMOnetに加わり,行政とも協力して,県内および全国の重症患者トリアージ・病院選定・ECMO搬送を行いました。

G7広島サミットでは,首脳等対応班の班長として,テロ災害発生時の指揮をとる任務を担いました。
目の前の患者さんだけではなく,地域全体を俯瞰的に見て行うこれらの医療には,西日本豪雨の経験が活かされているなと感じました.

卒後
27年

大阪大学大学院医学系研究科 招聘教員(兼任)
広島大学 放射線災害医療総合支援センター 副センター長(兼任)【広島県】

救急医療では様々な知識・経験を集大成して,全身全力で患者さんの治療に当たることが重要です。

そのためには、様々な専門性を持った医師が集い、知識や経験を共有し合い,互いを高め合うことが不可欠です。幅広い多様性を持ちつつ、洗練された専門性も有する救急医を目指して、若い先生の育成とともに自分自身も成長していきたいと考えています。

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