湘南鎌倉総合病院 救急総合診療科 山上 浩
0年
福井大学医学部医学科 【福井県】
バスケと車の改造に明け暮れる学生生活でした。心臓血管外科に憧れを持つも、自身が不整脈を患った経験から循環器内科を志しました。
寺沢秀一先生、林寛之先生の講義があり、今思えば非常に贅沢でしたし、その後救急医を目指すきっかけでもありました。
1年
循環器内科医として第1歩を
初期臨床研修制度が始まる前だったため、自分の希望する診療科に直接入職しました。呼吸器や内分泌の専門医も多い医局だったため内科全般を広く学びました。
2年
舞鶴共済病院 内科 【京都府】
医師としての挫折
医局人事で舞鶴共済病院内科で内科研修を始めました。チーム制ではなく主治医性で24時間365日オンコールという拘束の中、月4回ほど、いわゆる全科当直を担ったのですが、小児や外傷が診られないことに気づき挫折。内科研修をしながら整形外科や小児科など研鑽を積もうとするも時間的にも環境的にも断念。
循環器内科という専門に進む前に、幅広く対応できる医師になりたいと思い、当時の福井大学救急部教授 寺沢先生へ相談、後期研修医という立場でスーパーローテート研修をやっている湘南鎌倉総合病院を紹介していただきました。
4年
湘南鎌倉総合病院 【神奈川県】
貪欲に知識経験を吸収
当時の湘南鎌倉総合病院初期研修医にも教えを請いながら、内科、外科、小児科、産婦人科、整形外科、眼科、耳鼻科をローテートしました。専門科ローテ後にERに戻って、患者に還元し、新たな疑問や課題を次の新しいローテ先で解決して、ERに戻り還元する4年間でした。
離島研修として伊良部島にも赴任。島に医師一人という環境に身を置き、自分の診療能力を謙虚に見直すことができました。救急科専門医も無事取得しました。
7年
救急科専門医 取得
8年
救急医を続ける決断
鎌倉に来た当初は、湘南鎌倉の4年プログラム終了後は福井に戻り循環器科として研鑽を積むつもりでしたが、救急診療の幅広さや学問としてのおもしろさ、救急医の社会的な役割の大きさを実感し、自分のような医師が増えれば救急医療はもっと良くなるのではないかと考え、人材育成の必要性も新たに感じ始めていました。
そして何よりシフト制勤務、帰宅後は呼び出し無し、休みがあり趣味や家族との時間が作れる働き方を経験し、湘南鎌倉で救急医を続けることに決めました。
11年
救急部門長へ
「毎日分からないことがある」中、日々研鑽を続ける毎日。部長として安定した部門運営のため、病院救命士とのタスクシフトシェアや、「救急医療は病院だけでなく地域で担う」というコンセプトで周辺病院との連携構築がライフワークでした。
また、EMA(Emergency Medicine Alliance)でつながった全国各地の救急医と連携を広げ、救急科専門医プログラムを充実させていきました。救急医は横のつながり、仲間が大切と、最も強く感じた時期でした。
16年
地域で救急医療体制をデザインする
救急医の存在意義は、①患者のため、②病院のため、③地域のため、と教わりました。
①は当然、一生研鑽が必要なことは言うまでもありません。
②は、働き方改革時代を迎えたいま、夜中に適切な判断をして無駄に呼ばず、適時適切なコンサルトをする。各科専門医師を支える存在が救急医でしょう。
③は救急医にとって大きなやりがいを感じるところかもしれません。国レベルでの画一的な解決策は難しく、地域格差の大きい救急医療体制を、いかに安定的かつ良質に担っていくか。どんな人材育成をしていくべきか。救急医療の現場にいる立場で中長期的にデザインしていく作業は社会的に非常に重要な仕事と思います。
救急医は、これからさらに需要が増えます 幅広い診療能力、社会的課題の解決に関われるなど、自分の存在意義を見いだすことができるでしょう。ぜひ一人でも多くの医師が興味をもって仲間になってくれることを願っています。
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◁過去の記事: 広島大学大学院 救急集中治療医学 大下 慎一郎
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