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筑波大学附属病院 救急・集中治療部 
榎本 有希

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榎本 有希">筑波大学附属病院 救急・集中治療部 
榎本 有希
卒後
0年

筑波大学附属病院 医学専門学群卒業

アイスホッケー部に所属。6年目の冬まで練習に没頭したせいもあり最後の年は優勝。幸運にして国試にもかろうじて合格することができました。

卒後
1年

筑波大学小児内科

当時筑波大学の救急部門は積極的にかかりつけでない救急搬送を受け入れる体制ではありませんでした。「臓器にとらわれず全身を診ることのできる医師」になりたいという思いがあり、筑波大学小児内科に入局しました。
初期臨床研修制度が実施される前でしたが、筑波大では入局後にも他診療科をローテーションする制度があり、大学関連病院の内科を6ヶ月、外科と救急科を3ヶ月ずつローテーションすることができました。
患者の急変に偶然立ち会うことも多く、ICUに入室するような重症患者の担当となる機会が多かったように思います。

卒後
6年

国立成育医療研究センターPICUフェロー

重症小児の急性期治療を身に付けたいという思いから、国内で最大規模のPICUのある国立成育医療研究センターPICUのフェローとしてトレーニングを積みました。卒後6年目で小児科専門医を取得しました。

卒後
8年

大阪府立泉州救命救急センター 医員 

小児専門施設は、重症外傷の症例の搬入が少ないため重症患者のボリュームの多い救命救急センターでトレーニングを行いました。元々の専門領域に関わらず受け持ち患者を割り振るというシステムだったため、非常に幅広い症例の診療に数多く携わることができました。
成人診療に携わるのは久しぶりでしたが、急性期医療において基本的な考え方は成人と小児では大きくは変わらないということを再認識しました。途中、数ヶ月ではありましたが、非常にアクティブな岸和田徳州会病院のERでも勤務する機会に恵まれました。

卒後
10年

国立成育研究医療センター PICU 医員

スタッフとして再度PICUで勤務。レジデントの頃にはできなかったユニット全体のマネージメントについて学ぶ機会を得ました。このとき、救急科専門医、集中治療科専門医を取得しました。

卒後
12年

筑波大学附属病院 救急・集中治療部 病院講師

病院の体制として積極的に救急車の受入を行うように変化し、救急車の受入台数は500台/年のペースで増加中の筑波大学附属病院の救急・集中治療部へ赴任しました。救急車で搬入された患者の初療を行うとともにhigh-intensity open ICUの運営や、これまでの経験を活かし小児ICUの運営にも関わっています。
また、大学病院というアカデミックな環境に身を置き、自分のキャリアの中でのタイミングは遅くなりましたが、未知のものを探求することの面白さを実感しています。

現在

これからのプラン

もともと、「急性期治療」の特殊性への対応が不十分であるにも関わらず、そのことすら認識されていない現状に満足できず、小児科専門医取得後、救急・集中治療の道を進みました。
当初の希望通り昨年から、筑波大での勤務に戻り今後は一人でも多くこの分野の面白さを伝えることができたらと考えています。

未来へ

先生の「キャリアプラン」をお寄せください
内容のアップデートもお待ちしています!

先生がどういった経緯を経て救急医という職業を選ばれたのかを
熱いメッセージとともに寄せていただければと思います。
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さらに、男女問わず結婚や出産、育児という家庭人としての経験と仕事を
どのようにバランスよくこなしてきたのかなどの体験談も併記いただける方は
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公開日:2016年4月25日