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東京都立小児総合医療センター 萩原 佑亮

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卒後
0年

弘前大学医学部医学科 卒業

競技スキー部に所属し、滑走日数は年間100日を越えることもあるくらいスキーに没頭していた学生時代でした。その頃、弘前大学に救急科はなく、なんとなく耳鼻科医になろうかなぁと思っていましたが、病院見学で初めて見た救急医に憧れて救急医になろうと思いました。

卒後
1〜2年

国立国際医療センター 初期研修医

救急コースというプログラムに応募し、より救急に重点を置いたプログラムで研修をしました。

卒後
3〜5年

国立国際医療センター 救急科専攻医

救急医になるための修行と位置づけて一生懸命に勉強した3年間。この3年間が今の救急医の基礎を作ってくれました。ER、集中治療、小児救急、産科救急などありとあらゆる経験を積みました。

卒後5年目のときに、たまたま帰国していた米国小児救急専門医である井上信明先生の講演を聞き、「小児救急」という分野を知り、心を動かされました。その講演後すぐに井上先生にご挨拶をして「小児救急を専門にやりたいです」と宣言しました。その一方でもう少し救急医としてのトレーニングも積みたかったので「数年後にお世話になります」と今思えば非常に厚かましい挨拶をしてしまいました。

卒後
6年

東京大学大学院医学系研究科 公共健康医学専攻(公衆衛生大学院)進学、Master of Public Health(MPH)取得、救急科専門医 取得

救急医療は社会的な問題と対面することが多く、もっと俯瞰的に社会的側面から救急医療を考えたいと思うようになりました。また、国立国際医療センターの救急部長であった木村昭夫先生から「ERを学術的に高めてこそ、初めて日本でもER型と言われる救急医が認められるようになる。それを作るのがお前らの世代だ。」と教えられ、臨床研究に力を入れていました。

日々の臨床から生じた疑問などが臨床研究によって根拠になっていくことに興味を持ち、それらを体系的に勉強したくなり、専攻医プログラムが修了するタイミングで公衆衛生大学院への進学をしました。一生、一般病院で臨床医として生きていくつもりだったので博士号(Ph.D)にはあまり興味がなく、1年間だけ臨床を離れてみっちり勉強する公衆衛生学修士(MPH)を取得することにしました。
また、この年に救急科専門医試験を受験し、晴れて救急科専門医となることができました。

卒後
7年

川口市立医療センター 救命救急センター 医員

結婚

救急医として外傷に対するスキルが自分の中で足りないと感じていたため、重症外傷が多い救命救急センターで研鑽を積みました。ただ、外傷手術ができる外科医になるためのトレーニングではなく、外傷外科医の思考過程や戦略を学んで一緒に働けるスキルを身につけたいという考えでした。この年の最後に結婚しました。

卒後
8年

東京都立小児総合医療センター 救命救急科 医員

第一子
誕生

育児休業
1か月間
取得

第二子
誕生

数年前の厚かましいお願い通りに、井上信明先生のいる都立小児へ異動しました。日本では珍しい小児専門ERを実施している施設であり、もともとこどもが大好きだったこともあって、小児救急を専門にする救急医になることを決意しました。

小児に関することであれば内因性・外因性を問わずにすべての初期対応をするので、今までの救急医としての知識やスキルをすべて応用することが可能です。気道管理に長けた救急医は鎮静なども得意とするので、小児に優しい医療を提供することができます。成人よりは重症患者は少ないのは事実ですが、小児救急はまさに未来を救う救急であり、こどもたちの笑顔を見ると充実感に溢れます。

卒後9年目のときに第一子が誕生し、それに合わせて育児休業を1ヶ月間取得しました。妻とふたりで育児に取り組むことで、ふたりで一緒にこどもを育てるんだという強い絆が生まれました。育児に積極的に関わることで小児救急医としての知識やスキルも高まりました。

卒後
11年

小児科専門医 取得

小児救急医として専門性を高めるためには小児科医としてのスキルも必要なため、自施設で一般小児やNICUなどローテーションして小児科研修をしました。救急科専門医取得の時よりも年を取ったせいか、知識の吸収力が衰えてきて勉強には苦労しました・・・。

卒後
15年

日本救急医学会指導医 取得

日本には小児救急を専門とする救急医はまだ少なく、自分自身がMade in JAPANの小児救急医として後進をいかに育成するかということを考えるなか、日本救急医学会の指導医資格を申請して無事に合格しました。

卒後
16年

日本小児科学会認定指導医 取得

救急科の指導医に加えて、小児科でも指導医資格を取得しました。小児救急医学の専門家として救急科と小児科の2つの領域の指導医を得て、ひとつの区切りを迎えました。

卒後
17年

日本中毒学会クリニカルトキシコロジスト 取得

こどもの薬物などの誤飲事故は非常に多いにも関わらず、小児科では中毒は学ばず、救急科では小児は慣れていない、という専門領域の狭間に陥るこどもたちのために中毒を真剣に学び直しました。

こどもたちのために何ができるのかを卒後何年経っても考え、そして、新しいことを学び続ける楽しみが救急領域には多くあることを実感しています。

現在

これからのプラン

日本に、小児に強い救急医、救急に強い小児科医を育成することが目標です。こどもは日本の未来です。未来を救う救急を続けていきたいと思っています。日本ではまだまだマイナーな領域ですが、こどもたちにこそ、最善、かつ、優しい救急医療を届けるためにもひとりでも多くの仲間を作っていきたいと思っています。
また、日本にも小児救急という分野を定着させるため、小児救急に関する臨床研究にも力を入れていきたいと思っています。

未来へ

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公開日:2016年4月27日