日本医科大学千葉北総病院 救命救急センター 阪本 太吾
0年
卒後0年目 北海道大学医学部卒業
「北の大地」に憧れ北海道大学に入学。剣道に打ち込み7年間!?の学生生活を過ごした。今思えば、あれだけ時間があったのだから、もっと勉強しておけば良かった・・・(苦笑)特に英語。
卒業時、特定の志望科はなかったが、全国から意識の高い初期研修医が集まる都内の病院を志望し運よくマッチした。
1年
国立病院機構 東京医療センター 初期臨床研修医
初期研修では毎日深夜まで働いたが、とても教育的な上級医の先生方と、優秀な仲間から刺激を受けとても充実した2年間だった。一生の仲間が出来た。
初期研修で様々な診療科を回るとどれも魅力的で、後期研修で何科を専攻しようか迷った。ただ、専門に細分化されたことの弊害も目にして、全身管理、そして緊急時・急性期の治療を学ぼうと思い、“とりあえず”救急科の後期研修を行うこととした。
3年
国立国際医療研究センター病院 救急科 レジデント・医員
ER型の救命救急センターで救急の後期研修を開始した。豊富な症例・・・というより1日約30台もの救急車に曝され、指導医の愛ある厳しい指導のお蔭で救急医療を基礎から学びとても実力がついた。
そして、救急医療とは、怪我、病気だけでなく「社会問題」に向き合い、「患者の人生まで診ている」ようなところに魅力を感じた。
一方で、患者を救えず悔し涙を流したこともあった。特に外傷の初期診療は難しく、もっと外傷を学び自分の手で救えるようになりたいと思った。外科手術を基礎から学ぼうと決心した。
6年
日本救急医学会 救急科専門医 修得
専門医は修得したが、これはまだ入り口にすぎない。果てしなく深く、広く、魅力的な救急医療の入り口に立った。
7年
国立病院機構 水戸医療センター 外科 医員
卒後7年目で「外科」という新たな研修を始めることに抵抗はあったが、とても歓迎してされ熱心に指導して頂き、短期間で多くの症例を積むことが出来た。
救急科専門医を持っていたため、ドクターヘリのフライトドクターにもなり、もっと重症外傷患者の経験を積みたい、病院前診療をもっと学びたいと思った。
「重症外傷診療」「病院前診療」では最高峰の日本医大千葉北総病院へ「挑戦」してみようと思った。
10年
日本医科大学千葉北総病院 救命救急センター 助教・医員
今まで見たことのない世界ばかりだった。今まで救えなかった命がいくつも救われていく。
それだけでなく、教育、研究、集中治療、災害医療などここでしか学べないことが山ほどある。とても手厚い指導体制もあり、この素晴らしい環境で必死に学んでいく決意を新たにした。
12年
これからのプラン
Acute Care Surgery、特に外傷外科の研鑽をもっともっと積みたい。臨床だけでなく、教育、研究も本格的に行い、救急医の魅力を後輩に伝授し、一人前の救急医を育成し、地域医療に貢献したい。
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