救急現場、密着ドキュメント!⑤ 【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第1章 こちら救命救急センター
救急現場、密着ドキュメント!⑤
心肺停止で死亡した男性の遺体は処置室から隣りの部屋に移されていた。検死には家族が立ち合うことはできない。監察官が明秀から死に至るまでの経緯を聞きながら検死している間に、もう一人の監察官が遺体の写真を何カットか撮る。数時間前には家族と夕食をともにした人間が、突然、倒れて心肺停止で病院に運ばれ、息を吹き返すことなくいま、日の前のストレッチャーの上で冷たくなっている。それが四十九年の人生、最期の姿である。
救命救急センターでは五年前から心肺停止で死亡した患者の病理解剖を行い、死因の究明に取り組むようになった。一年間に約二六〇人の心肺停止患者が搬送されてくるが、病理解剖が行われるのは約五〇体で、院内全体の解剖数の約半数を占めている。患者の死因を究明するための解剖は、警察が必要と判断した場合に、大学の法医学教室などに依頼して行う司法解剖と監察医が行う行政解剖があるが、心肺停止患者の死因究明のために解剖が行われることは少なく、また司法解剖などが行われてもその結果が救急医に報告されることが少なかったこともあり、病理解剖が行われるようになった。結果、近年増えてきている若い人の心臓突然死や過労死の原因も明らかになってきた。心肺停止は死因ではない。なぜ、心肺停止が起きたのか、その原因を知りたいと願う家族にとつては意義ある病理解剖であり、病院と患者との信頼関係も垣間見えてくる。
検死が終わり、私は廊下に出た。いま見た検死がショックだつたというわけでもないが、大きな深呼吸をしたかつた。外来ロビーに向かって歩きながら、私たちのほとんどが病院で死ぬのだなと思ったら、悲しいというより気が抜けそうになった。のどの乾きを覚え自販機で缶ジュースを買って一気に飲み干し、再び処置室のほうへ向かった。廊下には明秀と小野寺医師の姿があった。
「これから小野寺先生の新しい車に乗ってみますけど、いっしょに行きますか?」
「はい、行きます」と返事するも何のことかわからないまま、二人のあとをついていくと救命救急センターの外に出た。三月半ばの穏やかな夜更けの外気が気持ちよく、私は思いっきり息を吸って吐いた。鼻腔いっぱいに春の香りが広がった。
なんと、駐車場に止めてある小野寺医師の車に乗り込んで、駐車場をひと回りしただけである。明秀が「おっ、なかなか、いいね」などと言っている。当直の夜には、こうした眠気覚ましの気分転換も必要なのだと思った。
医務室で待機することにして非常階段で三階へ。いつのまにか午前三時を回っていた。この時間帯は、夜に寝て朝に起きる人たちがぐっすり眠っているもっとも静かな時間である。しかし、ここ救命救急センターは眠らない。
さきほど流産の処置を終えたスリランカの女性は一泊入院をして安静にしていなければならないはずだが、健康保険証がないことを心配した夫がタクシーで連れ帰ったと聞く。救命救急センターには外国人の患者も多く搬送されてくるが、その背景もまたさまざまである。
「朝まで起きているのはたいへんだから、少しでも寝ておいたほうがいいですよ。処置室の隣が宿直室になっています」
明秀に声をかけられたが、
「まだ、大丈夫です。眠くなったら外来ロビーの椅子にでも横になります」
「いや、ちゃんと寝たほうがいいですよ。宿直室には二段ベッドが二台ありますから」中医師が「あのベッドは汗くさくて、女性には気の毒かな。むしろソファのほうがいいかもしれないな」と言ったのを受けて、
「私は平気ですが、 一度ベッドで寝てしまったら、起きられないような気がします」
「大文夫、急患が来たら起こします」
救命救急センターの隣に宿直室はあった。二段ベッドが二台とロッカー四台が置かれただけの狭い部屋である。小野寺医師と私は仮眠をとることになり、明秀と中医師は起きているということになった。私は奥のベッドの上段で、小野寺医師は手前のベッドの下段。二段ベッドに寝るなど、二十年以上も前に行ったスキー場のペンションに泊まって以来のことだった。
身体を伸ばすと気持ちよかったが、やはり初めての救急現場を体験し目が冴えて少しも眠くならない。
「蒲団が汗くさいけど、寝ておいたほうがいいですよ」
斜め下段から小野寺医師の声が聞えてくる。
「ありがとうございます。急患が来たら、起こしてください」
なかなか眠れなかったのだが、それでもウトウトしたのだろう。ドアを叩く音がして、「急患です」の声にびくっとなり、腕時計を見ると三時四十分。二十分ほど眠ったらしい。小野寺医師は反応が早くすぐに飛び起きた。救命救急センターの土佐亮一医師も自宅で就寝中のところを電話で呼びだされ、すでにロツカーの前で着替えていた。私も白衣を着て処置室へ。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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