救命救急センターは社会の縮図② 【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第1章 こちら救命救急センター
救命救急センターは社会の縮図②
重症患者の輸血拒否が教えてくれるものがある。郵便配達のアルバイトをしている十九歳の男性がバイク走行中に乗用車と接触して転倒し、左側腹部に受傷。超音波検査の画像に腹腔内出血が認められ、緊急に牌臓止血手術の必要があった。ところが患者本人と母親がエホバの証人の信者だった。このキリスト教の教派では、〈血の教え〉なるものに従い、輸血ならびに血液製剤による医学治療を避けているため、輸血拒否を主張したのである。
「輸血をしないでくれ」
患者と母親が輸血を拒否する一方、未信者の父親は、「死んだら困るから、輸血をしてくれ」息子を説得しにかかるが、頑としてきかない。輸血をするか否かを巡ってもめたので、明秀はスタッフと緊急会議を開いた。輸血拒否の患者に輸血をすれば、たとえ命が助かったとしても裁判で訴えられる可能性がある。また、患者が希望するように輸血しないで手術して患者が死亡する場合も考えられる、そして最悪なのは輸血して患者が死亡することだった。むずかしい選択だが、最初から結論ははっきりしており、それが最善の決断ということになる。
「よし、輸血しないで患者を助けょう」
果たして、無輸血の手術が行われた。すでに腹腔内出血をしていて、さらに開腹手術による出血も予想されるので、当然、出血しないような手術ということになる。輸血なしでどこまで我慢できるかが問題。手術後は急速に血流を増すために、点滴と流動食で高栄養素を与えた。栄養を摂取すれば、血液は増えるというのだ。術後、患者は元気になって二週間後に退院した。
エホバの証人たちは「輸血によつて純潔さが失われ、汚れた人間になつてしまつては生きてはいけない」という。この考え方は、ある面で納得できるというのも、いまでこそ肝炎やエイズは輸血によって感染することがわかつているが、少し前まではわからなかったのである。B型肝炎だけチエックしていた血液でC型肝炎になってしまうケースも出てきたからだ。しかも、B型肝炎になったばかりの患者が献血すると、すぐには反応がでないが、すでにB型肝炎のウイルスは血液中にあって、反応がない血液を輸血してしまうと、明らかに発病する。
二十年近く前のエイズ検査もそうだつた。エイズになったかもしれないと思った人たちが保健所に行って検査や献血をした。当時、献血をすると無料でエイズの検査をしてくれるというのがあったが、実際はかなり早い段階で検査に来るから反応がでてこない。しかし、血液は感染している場合がある。自分がエイズかどうかを調べる目的で献血をした人は大勢いたが、それがまずかったのだ。
いまに至って、二日から輸血を拒否していたエホバの証人たちの言い分が認められたりもする。しかも、数年前までは輸血のガイドラインの存在すら知らない医者がいた。つまり、大学では習っていないという事実があったのだ。昔の医師たちは誰も何も教えてくれなかつた。そしてたいした出血でもない患者に平気で輸血してしまうから、いろいろな弊害が起きたのだ。肝炎やエイズは輸血によつて感染したことから、輸血しないで手術する方法が研究されたのである。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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