救急医になった理由① 【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第1章 こちら救命救急センター
救急医になった理由①
救急現場を取材してみて、私はあらためて救急医をはじめとするスタッフの救命に当たる懸命な姿に心打たれた。さらに、想像を絶するような症例の数々と非日常の出来事を聞かされ、正直いって驚嘆するばかりだった。
「今先生はなぜ、医師になろうと思ったのですか?」
しかも、二十四時間態勢で取り組む救急医に……。月並みな質問を向けてみると、「う―ん、あらためて聞かれるとむずかしい」などと前置きして、明秀は音を思い出しながら語り始めた。
今明秀は一九五八年(昭和三十三)十一月十三日、青森市の佃という海辺の町で生まれた。小学校のころは理科が好きで、特に水族館で海の生物たちを飽きることなく眺め、生き物や人のからだのメカニズムには人一倍興味を持った。命のかたちってなんだろうか、と子どもが考えるとき、例えば、カエルの心臓が動いていることと、つぼみだったアサガオが翌朝に開花することは同じである。動いていることが「生きていること」であると認識できる。動かなくなってしまつたら「死んでしまうこと」であると認識する。それでは、なぜ、生きているのだろうか?なぜ、動くのだろうか?と疑間がわく。明秀は無意識のうちに「命のしくみ」を知っていくおもしろさにめざめた。また、小学校の低学年のときに野口英世の伝記を読んで、漠然とではあるが医者にあこがれたという。
そして、一九七三年に手塚治虫の『ブラック・ジャック』が登場した。これを読んだ人のほとんどが、無免許の天才医師、特異なアウトサイダー医師に魅かれ、救命のあり方に感動を覚えた。どんな重症の患者も手術して治してしまうブラック・ジャックは、少年少女だけでなく、大人たちの心もとらえた。当然、中学三年生だった明秀もブラック・ジャックにあこがれた。
「とにかくブラック・ジャックはかっこよかった。彼は誰もできないような手術をして患者の命を救う正義の味方。こんな医者がいたらいいなあとあこがれたのでしょうね」
『ブラック・ジャック』の一回一話完結のストーリーは、それぞれの人間が抱えもつ「命の重さ」をテーマとし、必ず微細な手術シーンが登場した。ブラック・ジャックはリッチマン、プアマンも、そして善人も悪人も助ける。孤立無援(ピノコという助手がいたが)の、クールにも見えるブラック・ジャックだが、自身が大きな傷を負ったからこそ、命の大切さを知る、血の通ったヒューマンな医師である。
ブラック・ジャックは初登場から三十年経ったいまも人びとの心をとらえて離さない。特に医学の道を歩もうとする若い人たちが理想とする医師の姿であるのか、『ブラック・ジャックによろしく』という人気コミックのテレビドラマ化もされた。それほど、手塚治虫の産物であるブラック・ジャックが人びとに及ぼした影響は大きい。どこにも属さず、何者にも縛られず、もちろん権威などとも無関係なブラック・ジャックの自由な精神は、日本の医療制度のあり方にも一石を投じたのではないだろうか。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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