2トントラックに4WD車が突っ込んだ「お父さんを助けろ ! 」④【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第2章 救命、そして再生への道
2トントラックに4WD車が突っ込んだ「お父さんを助けろ ! 」④
次は腹部超音波検査を手術室で行った。腹腔内出血の増量がないことを確認した。
「よし、それならば出血が続いている骨折の手術のほうが先だ。六時間以内に骨をくっつけたい」
特に開放骨折の場合は、六時間を経過すると骨折部に感染を起こすことが多いからだった。
しかし、山崎、塚本両医師、整形外科のほかの医師はそれぞれ手術中で手が放せないという。そこで明秀は日医大から応援医師を呼ぼうと電話で依頼した。しかし、夕方なら応援を出せるという返事で、それでは遅いのだ。紙尾医師、平松医師、麻酔医、救急整形の山崎医師らと相談し、救急外科の明秀自身が骨折の創外固定手術をすることになった。
一〇リットルの生理食塩水で骨折部を丁寧に洗い、右下腿、左下腿、右大腿に、直径五ミリのスクリュー一二本をドリルに接続して入れていくのである。これまで、山崎医師から何度も教わった手術法だった。失敗は許されない。明秀は慎重にドリルを回して骨折を引き寄せた。手術はゴールデンタイムの受傷六時間以内で終了することができた。
この手術は、後にX線検査で確認すると骨はしっかり固定されており、また感染を起こさずに最終骨折接合術までもっていけたので、明秀は山崎医師にほめられた。
創外固定手術も終わり、残る問題は腹部の出血である。明秀は迷うことなく、開腹術を行った。疲れてはいたが、ここで弱気を出して手術以外の方法を選択すると、ICUへ帰ってから出血がだらだらと続き、輸血の量が増えることもある。輸血量は少ないほうがいいに決まっている。開腹すると、牌臓が割れていた。その部位を糸で縫合して止血した。手術前と手術中を合わせ、輸血は赤血球製剤三二単位であった。血圧一〇一/四七でICUへ戻った。時計は午後四時五分を指していた。
ICUでは、人工呼吸、凝固障害の治療や体温復温、アシドーシス(酸性血症)の治療を行った。翌日の午後には再び左開胸して止血していたタオルを除去し、肋骨骨折を固定する手術が行われた。
一時は心停止にもなり、救命率二〇%の多発外傷の重症患者、林昇さんは一命を取り留めたのだが、予断を許さない状態が続いた。十一月二日には三度目の足の手術を終え、心配された感染症も合併症もなくリハビリを開始。さらに十二月十三日には本格的なリハビリのため群馬県館林市の慶友整形外科病院に転院したのである。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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