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メディカルコントロール③【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】

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第3章 救急こそ医療の原点

メディカルコントロール③

2002年月7月、埼玉県では救命率の向上を目指して、医師、消防、行政で構成した「埼玉県メディカルコントロール協議会」を設立し、その後、県内6カ所の救命救急センターを中心とした第3次救急医療圏を基礎として〈地域メディカルコントロール協議会〉を設立した。

川国市立医療センター救命救急センターでは、開設当時から小関センター長が救急救命士や救急隊との連携を重視し、救急患者を搬送してきた彼らをすぐには帰さずに処置見学させた。あるいは手が足りないときには救急救命士が心臓マッサージや気道確保などの協力をして、医療スタッフの1員のような存在になっているのである。今明秀と救急隊との信頼関係は揺るぎないものだった。

「従来、救急隊は救急隊、病院は病院というスタンスで、救急隊には何もするな、ただ早く運べばいいといった状況でした。ところが、徐々に救急隊の医療的な働きが増えてきたので、医療側が医学的裏付けをサポートして書類であきらかにしようと、メディカルコントロールが全国的に始められました。軌道に乗ったのは、11年前です。救急隊が患者の症状などについて迷っているときには医師に電話をして相談し、患者を救うというものです。そのためには、約束事をつくつておく。たとえば、呼吸が弱くなったら酸素を投与して人工呼吸をする、心臓停止したら心臓マッサージをして除細動をするといった約束事を決めていっしょに練習します。約束事にそったプロトコールによって自由に活動することも許可するのです。10年たって、ようやく病院に連絡しなくても救命士の判断で除細動ができるようになりました。いままでは許可をもらうために2、3分かかっていたのが、すぐその場で除細動ができるようになったので、結果、命の助かった人が増えています」

明秀が信頼する救急救命士の1人、さいたま市消防本部救急救命士の中村1郎さんは病院で自主的に当直実習することが多かったので、夕方から翌朝までに10数台の救急車が搬入されるといった現場を何度も経験し、救急医の的確な判断とスピーデイーな処置を目の当たりにしてきた。その中村さんから明秀に関する面白いエピソードを教えてもらつたとき、どんな患者でも受け入れて救命に当たるだけでなく、麻酔から覚めたときの患者の気持ちを想像しながら最善を尽くす真面目さに、私は心打たれた。それはこんな話である。

中村さんが明秀とともに宿直したある日の深夜、50代の男性が何者かに背中を刺され救急車で搬送されてきた。刺された傷は肺にまで達していて出血も多く、緊急開胸手術となった。

患者の全身には見事な刺青が彫られていた。手術は順調に進み、後半で開胸部の縫合に入ったとき、明秀は刺青の細かいデザインを合わせて丁寧に時間をかけて縫合した。こうして本人も刺青も命をつなげることができたのである。中村さんは「なんという救急医なのだろうか!」と驚いた。「普通の救急医はそこまでしませんよ。命が助かったのだから、刺青のデザインに多少のズレぐらいあっても我慢しなさいと患者に言うでしょう」

中村さんは JPTEC(Japan Prehospital Trauma Evaluation and Care = 病院前外傷救護)と ACLS(Advanced Cardiovascular LifeSupport = 2次救命処置)のインストラクターである。いずれも、プレホスピタルケアの救命処置に関する協議会で医師や看護師救急救命士などが積極的に参加しているものだ。救急現場を離れても明秀とは顔を合わせることが多いと聞いている。

次回に続きます…

プリベンタブルデスーある救急医の挑戦本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。

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公開日:2018年1月4日