八戸市立市民病院救命救急センター⑥【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】
第3章 救急こそ医療の原点
八戸市立市民病院救命救急センター⑥
明秀は、患者の身の上話に相槌を打っている。そばで見ていると、まるで世間話でもしているような光景である。
高気圧酸素治療室を出ると、明秀は言った。
「患者さんの根本にある悩みを具体的に取り除いてあげることはできないけど、ああやって医者を前にして話すことでずいぶんと気分がよくなるようです。人生相談みたいです」
ときとして患者は症状や痛源を医師に訴えるだけでなく、愚痴ともつかぬような心情を吐露する場合もある。ただし、医師なら誰でもいいというわけでなく、明秀のような医師から気軽に声をかけられたりすると、つい話したくなるのだろう。ある患者が明秀についてこう話していたことを思い出す。
「最初はこわいお医者さんなのかなと思ったけれど、すぐに気さくでおもしろい先生だということがわかりました。患者の目線でお話しされるので親しみを感じました」
医師と患者との関係が見直されて久しい。それは医療倫理や医療関係法の新しい潮流として登場したインフオームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)のような理念の確保においても顕著である。
しかし、実際はどうなのだろうか。家族の誰かが手術したり、入院したりするような場合には医師からの丁寧な説明もあるが、日常的レベルにおいては、ホームドクターは別にしても患者数が多い大病院などでは医師の態度に事務的で高圧的なものを感じることは多々ある。患者の不安や質問に対して、丁寧に応えてくれる医師もいるが、そうでない医師もいる。時間的余裕のないことに起因しているのだろうとは思うのだが、患者の話に耳を傾け、専門用語ではなく、わかりやすい言葉で説明してくれる医師であるなら患者も安心できる。
医師が「え?」と思うようなまるで常識が通用しない患者に出会うのと同様に、患者もそのような医師に出会うことがあるc手首を骨折した友人の母親がリハビリを受けられずに10年たって病院に行き「まだ、手首が曲がらない」と医師(開業医)に訴えたところ、「それなら、もう1度同じところを折ってみますか?」と声を荒げ返してきたという話を聞いて、私はあきれるよりは悲しくなってしまった。
これは医師としての適性があるかないかというより、人間性の問題だろう。患者が「まだ痛い」「まだ治らない」などと正直に経過を話しただけでも、医師によっては自分が責められ、避難されプライドを傷つけられたように感じるのだろうか。挙げ句の果て「けがをしたのはあなた自身だから、そのことを忘れないように」などと嫌みを言う医師も多々いるが、そう言われてしまっては身もふたもない。医師と患者の出会いもまた運命なのだろうか。
午前11時、救命救急センターのICUに行くと、2人の看護師が明秀に近寄ってきて、
「今先生、このX線写真について説明してください」
「お、いいですよ」
明秀がx線写真の説明を始めようとすると、看護師が3人、4人と集まってくる。とても勉強熱心だなと感じ入るのだが、こうした雰囲気が自然にできてしまうのも明秀の教育熱心な姿勢と親しみやすいキャラクターによるものなのだろう。
次回に続きます…
本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。
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