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救急医学教育はまちぐるみ?②【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】

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第3章 救急こそ医療の原点

救急医学教育はまちぐるみ?②

アメリカでは、一般の人も除細動ができるように人の集まる場所にはAEDが置いてある。日の前で倒れた人に市民が電気ショックを行い、そのうち7割も命が助かっていると言われている。日本でも市民がこうした講習を積極的に受けておけば、心臓の突然死でも防ぐことができるのである。

このAEDが1家に1台あるのは理想的だが、やはり値段が高く、消火器を買うというようなわけにはいかない。しかるべき場所、たとえば、駅のホームや公共施設など人の集まる場所にあれば安心だ。今後、AEDが広く普及するようになれば救命救急の状況はかなり進歩していくのではないだろうか。

「目の前で人が倒れたときには積極的に近づいて、心臓マッサージや人工呼吸をしよう、けがのために出血していたら、止血をしよう」と明秀は訴える。

「寄るな、触るなというのは間違いです。息があるのか、心臓が動いているのかを確認するぐらいは普通の人でもできるはずです。理想的なのは、人が多く集るような場所に心臓マッサージや除細動ができるような人がいればいい。たとえば、警察官や駅員なら全員できるとか、20席以上ある食堂の店長ならできるとか、デパートのフロアには必ず3人ぐらいそういう人がいたほうが確実に救命率は上がります」

もし、私たちがバイスタンダー(側に居合わせた人)の立場になったときには、まず倒れている人に近づいて声をかける。倒れたのが家族や大切な人だとしたら、救急車が到着するまで何もしないで見ているわけにはいかないだろう。野次馬は集まるだけで何もしようとしない。ただ、取り囲んで眺めているだけである。

「素人が下手に動かしたりすると助かるものも助からない」と考える人もいるが、1人でも倒れた人に声をかけたり脈をとったりする人がいるといい。さらに、心臓マッサージのできる人がいればもっといい。やはり、何もしないことが最悪なのである。

このようなことを書いていたら、私は自分自身の悲しい経験を思い出してしまった。

アイスバーン状態の横断歩道ですべって転んだとき、一瞬、足をひねったので捻挫だと思ったが、捻挫にしては足首が痛くてまったく立ち上がれなかった。ところが、そんな私を見ても誰も起き上がらせてくれる人はいなかったばかりか、「これは、骨折れているぞ」とか「ああ、痛いね」などという男性の声がするだけで、手を差し伸べてくれる人はいなかった。

そこは横断歩道、向こう側の歩道まで数メートル。しかし、信号が変わったらたいへんなことになるので、私はつるつる滑りながら立ち上がり、ようやく片足でけんけんをして向こう側に渡り、タクシーに乗って帰宅した。翌日、足首の痛みと腫れを見てこれはただごとではないと弟におぶってもらいタクシーで病院に行った。大学病院には断られ、個人病院に行って診察してもらうと、X線写真を見た医師は「捻挫のひどいのだから、湿布していれば治るよ」と診断された。

しかし、痛みが半端じゃないこと、足首がぶらぶらしていることを訴えると、「ちょっと待てよ」と再度、写真を見てこう言ったものである。「おお、ここが折れているよ」。結局、左足勝骨骨折で、即入院ということになった。遠い昔の痛い思い出である。

「救命の鎖」という言葉がある。心肺停止状態の傷病者を救命するためには、①迅速な通報(119番)、②迅速な心肺蘇生法の施行、③迅速な電気的除細動、④迅速な病院での治療。これらがすべてうまくつながることで救命できることを「救命の鎖」という。第一発見者こそがこの「救命の鎖」の始まりなのである。

次回に続きます…

プリベンタブルデスーある救急医の挑戦本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。

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公開日:2018年3月8日