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救急と災害医療―新潟中越地震、緊急救援ヘ⑩【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】

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第3章 救急こそ医療の原点

救急と災害医療―新潟中越地震、緊急救援ヘ⑩

新潟中越地震から9カ月が過ぎた。豪雪に見舞われ長かった冬を越え、人々はいま復興をめざして頑張っている。

今明秀の5日間にわたる救援日誌を読むと、避難所で生活する住民たちの、地震で受けたショックと不安、物資・食料の不足、たくさんの人の中で寝起きするプライバシーもないような生活の困難さが伝わってくる。そういう状況下で、明秀を隊長とする5人の救護班は、フル稼働したのだった。

何かが起こるたびに、明秀は「いますぐ助けにいくぞ!」という気持ちがわき上がり、即座に次の行動を起こしている。それは救急医としての血が騒ぐためもあるのだろうが、それだけではないらしい。

「子どものころ、消防士にもなりたいと思ったことがあるんですよ。救助に行くのが好きなんです」

うれしそうな表情を見せた明秀の言葉から、ふと救急救命士の中村さんが教えてくれたエピソードを思い出した。

2003年10月、大阪府千里の万博記念公園で行われたメディカルラリーに参加したときのことである。メディカルラリーとは、医師、看護師、救急救命士による救急医療チームが指定場所に出動し、制限時間内にさまざまな救急現場の状況を的確に判断しながら救助していき、得点を競うラリー形式の競技で、大阪府内をはじめ近畿や関東の救命救急センターなどから18チーム108人が参加した。川国市からも医師11人、看護師11人、救急救命士11人の参加者が東京駅の新幹線改札口に集合したとき、なんと明秀の服装は災害臨戦態勢だった。編み上げのブーツに防災服、防災ジャケットの胸には16Gのサーフロー、聴診器、検眼ライト、喉頭鏡、気管チューブ。集まった仲間は全員、呆然とした。

「出発前からテンションを上げて頑張りましょう」

ニコニコしている明秀は、まるでディズニーランドにでも行くような少年の笑顔だったという。結局、明秀は3日間をそのスタイルで通したのだった。

次回「エピローグ」に続きます…

プリベンタブルデスーある救急医の挑戦本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。 なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。

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公開日:2018年4月12日