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救急医になった理由③ 【プリベンタブルデス ある救急医の挑戦】

第1章 こちら救命救急センター

救急医になった理由③

自治医大は栃木県河内郡南河内町に位置し、周辺はいまでこそ緑豊かな町並みが広がっているが、明秀が入学したころは、畑の真ん中に建っていて、「青森の田舎よりもっと田舎だった」という。自治医大は在学六年間の全寮制で、「自律協調の精神と責任感を涵養する」という目的があり、人間的成長のステップアツプの場である。医療現場において、一人では「いい医師」にはなれない。まず、患者がいる、スタッフとの連携がある。信頼と思いやり。ここでの六年間は、他者との関係性の中で自分が成長していく貴重な時間なのである。

明秀が自治医大のことを語るとき「洗脳された」という表現が飛び出す。「洗脳」といえば、昨今はマイナスのイメージがつきまとうようになってしまったが、明秀がいう「洗脳」とは、自分がめざすべき医師や医療のかたちをここで教えてもらい、とてもいい影響を受けたという意味のことだろう。

「いまも、自治医大の卒業生たちとは特別な関係にあります。学会などで先輩や後輩に会うと、やあと気軽に挨拶できる人ばかりで、自治医大の卒業生でよかったなと思います」

確かに明秀が自治医大に進んでいなければ、現在のような救急医にはなっていなかったといっても過言ではない。自治医大とはどんな大学であるのか、ここで少しだけ説明を加えておきたい。

一九七〇年(昭和四十五)七月四日、時の秋田自治大臣がへき地医師を確保するための「医学高等専門学校設立構想」を表明し、「医療に恵まれないへき地における医療の確保および向上と地域住民の福祉の増幅を図る」ことを目的として、各都道府県の知事による医科大学発起人会が発足した。一九七二年二月五日に学校法人自治医科大学設置認可、四月十三日に開学式が行われた。

毎年、各都道府県から二、三人ずつ百人の学生が選抜されるが、入学試験は第一次試験を各都道府県で実施、その合格者に対する第二次試験は大学で実施される。〈豊かな人間性〉と〈広い視野〉をもつ総合医の育成を教育目標に掲げる自治医大の特徴として、面接をかなりの割合で重要視し、個人面接とグループ討論を行い、地域医療に挺身する気概と情熱に富んだ優秀な学生を選抜するというスタンスである。

学生は六年間の一貫教育を経て、卒業後二年間は、医師法に定める臨床研修指定病院や大学附属病院で臨床研修を行う。二、三年間はへき地などの病院、診療所や保健所に勤務し、さらに後期研修を一、二年、複雑化する疾病構造や保健、福祉などの問題に、適切に対応し得る高度な医学知識、臨床的実力を身につけたあと、再び地域医療に従事して、ようやく九年間の義務年限明けとなる。義務年限に達した者は、入学時の資金貸与の返済が免除される。これは、入学金だけでなく、学費も免除され、生活費の一部が支給される。その他に防衛医大、産業医大もこれに似たシステムをとつている。明秀は自治医大を卒業後、青森県立中央病院で二年間の臨床研修をへた後、同県東南部に位置する倉石村の診療所を皮切りに、公立野辺地病院、六戸町国民健康保険病院、大間病院など四カ所の病院に勤務した。特に大間病院での二年間の経験は、明秀の人生にとって大きな転機となったのである。

次回に続きます…

プリベンタブルデスーある救急医の挑戦本連載は、2005年に出版された書籍「プリベンタブルデス~ある救急医の挑戦」のものであり、救急医の魅力を広く伝える本サイトの理念に共感していただいた出版社シービーアール様の御厚意によるものです。
なお、診療内容は取材当時のものであり、10年以上経過した現在の治療とは異なる部分もあるかもしれません。

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書籍連載   2017/07/31